力強く生きる

何年かまえの、朝ドラにて、医者をめざすメインのキャラクターが
先輩の医者から、患者から、生き方を学べということを言われるシーンが
あって、印象に残っている


生き方とは
どう生きるのか
思えば、このことは、おそらく思春期のあるときから
ずっと考えて、考え続けて、答えはでない
答えはないといってもいい


冒頭の話。高齢で足も弱ってきた担当する患者さんが
かつて、自分が働いた、山を見たいということを聞いて
いっしょに山を見に行くという、流れだった
自分が生きた、証といっていい、働いていた場所を思う気持ちに
ふれるとき、生きることって、懸命になることなのかと
感じたりする


生きることは、答えがでないことに、挑戦しつづけることと
言ってもいいかもしれない。河合隼雄先生は著作のなかで、先人の教えを学ぶのは
大事なことにはちがいない。しかしながら、すぐに答えを求めすぎるのは
いかがなものか。だいたい、生きていくうえで、ぽんと人に聞いて
わかるような、単純な問題ばかりでないということがわからないというのは
なさけない。生きていれば、答えのない、自分で少しずつにじりより
つかんでいくしかないような、大きな問題、命題がある。と書いていた


生きるってことは、生きようという力をつけることではないか
子どもが、生まれたときは寝てばかりいて、そのうち動きだし
立ち上がる。知性ということでも、学ぶことで、人の生きた道筋を
たどることができるようになる。そして、あるときから例えば本に
書いてあることを学ぶというだけでは、追いつかないことがあることに
気が付き、自分で考え、自分で判断し、結果をだしていくことを
積み重ねて、生きるってことを改めて思う


人の指導ということを、思うとき、やっぱり相対している人は
同じように、生きるってことに、迷い、とまどい、ときには
考えにふけり、ときにはやっぱり前向きに生きようと自分で自分を叱咤して
やってる、同じ仲間ではないか、そういう謙虚な気持ちを持ち続ける
ことからはじめないと、まちがってしまうと感じることがある


一方、すこしだけ経験がある、ビジネスの世界でどうふるまうか
なんてことを、ちょっとずつ、教えて助けていくというこは
おしむつもりはない。自分が経験したことは、どんどん伝えていく
ここで「おしむ」なんて言い方をしたが、実は逆で、伝える、教えていく
ということは、自分の知識を点検し、再度判断し、考えるきっかけを
もらうことになる、貴重な機会だ


2年前に虹を渡った、親しくさせていただいた方は、おそらく、教えるという
行為のなかに、自分の生き方を思い、謙虚さを忘れずに、人に会うときに
手にあらかじめなにかを持つことをしないで、歩き続けた人だ
そのやりとりの多くは忘れてしまったが、伝わるということがいかに
大切で、うれしく、生きる力のもとになるかって、そんなことを感じさせて
もらえたと思う


何かをしてもらった、先輩に、同じように恩返しはおそらくできない
それなら、後輩によくしてあげることで、恩を返すのだ
さりげなく、そうしたことができる、生き方をしたいと思う