うつわの話

昨日、最近知り合った、若い人に自分はうつわが好きだという
話をした
今年、四国の松山の近く、砥部焼の里にいったという
からし
もっとも、まえにもたとえば、相手がそれなりにうつわが好きという
人をまえにしても、単純に「話」だけだと、どうも
いい感じには話せないということを、感じた
つまり、うつわそのものを前にしてなら、こういう器をみたとか
こんなふうに感じたということが、そこそこ話できるのだけど
なかなか、である


昨日も、話しは器そのものよりも、うつわをめぐる旅をして
その旅の途中でどんな人と、どんな会話をして、旅が展開したのか
といったことのほうに、話の中心はうつり、うつわそのものを
めでるというより、その作家を育んだ、その地方、田舎の様子がいい
といった話になった


松山の砥部焼を見に行ったとき、永立寺窯のかたから、いろんな
砥部の話を聞いた。海外青年協力隊でいっしょになった人のつながりから
海外から、砥部に来てやきものにとりくんでるという話だとか
梅山窯、中田窯といった、人気のある窯の話だとか聞けて
とても有意義だった
ただ、その話の内容もいいのだが、面白いのは、↑でも人に話した
その人の、生き方というか、様子なのだ
永立寺窯は陶器市会場で、よかったので、電話をかけて窯元に見に行ったのだけど
そのフレンドリーな様子に、まずうれしくなり、その場にいた奥様から
ぜひご主人にも会っていってねという話から「村の駅」なる場所に
いって話を聞いた。そのときの迎い入れかたといったら
まるで、親戚のおじさんにあったようだった、そんな様子


それから、砥部の様子だとか、特徴のある仕事をしてる人の話、八瑞窯の白潟さんは
義兄といっていたけど、このかたが、またとてもフレンドリーだった
そして、自分の技術を人に伝えたいという、気迫とあたたかみをもって
おられた
ここのところ、自分のやってきたこと、生きた道筋といったことを
ぜひ、若い人に伝えてみたいという気持ちがずっとあるが、もちろん
ちょっとずつはやっていたりするが、まさにこの白潟さんは、焼き物をとおして
そうしたことを、してるんだなと思った
ときどき、焼き物の窯元を訪ねて、話を聞くという行為は、とても
刺激になると思っていて、なぜかと思っていたのだけど、それはとても
あたりまえといっていい行為だと、気が付く


つまり、私がいうところの生きた道筋が輝いてるからだ
そして、目を開いてる作家は、そのことを後輩に伝えようと
してるからだ


やきもの、うつわを好きになった、その道を行く人とふれあって
その人が、生きることについて、思うとき、このごろ自分が常日頃
つらつら、思ってることとつながっていくようでうれしい


先週の金曜日に話した、今年知り合いになった取引先の役員の
方は、ちょっとしたことから、私がよく思ってることを、そのまま
話にだしてくれて、とてもうれしかった。ビジネスだとか
ITだとか、やきものだとか、一定以上の深い話になると、そうしたことは
あまり関係なくなるということがある。いいえ
そんなこと、知識としては知っていたのです
でも、実際自分が足を使い、リアルに会ってる人と話をしていて
そんなことを、感じることができて、うれしいと思う