伝統工芸

本日の日経新聞の、春秋
「和える」という会社が、幼児にこぼれにくい食器として
少し高めの設定だけど、職人が手作りしたものを売り出して
人気だという。
「技を守るには、理解者を増やすこと。それには早くから
本物に触れることだ」


実際、手作りの食器が売れてるという事実に、驚いた自分がいる
陶器市はたいへんな人出である。手作りの食器を作り続けて
なりたってる会社があるということが、うれしいと思った
一昨年、山陰にでかけたときのことだった


昭和の時代に、このままでは日本の伝統工芸はだめになる
ということで、民芸運動という盛り上がりがあったという
まさに、大量生産が花盛りになったときといっていいと
思う。いままた、大量生産のものでない、手作りのものが
いいと見直されるという。いいことにはちがいない


なんというか、ほんものを見る、見れる人が減ってるという
ことがあるのでしょう。とかいいながら、自分はほんものを
見極められるのかというと、はなはだ、あやしいのだけど
少なくとも、見るのは好きになった


まず、見ること。見ていられることということが
ありそうだと感じる。目にはいるというか
なにか、いいものをみても、目に入らない状態ということが
ありそうだからだ
まえに、そうしたことを、柴田励司氏は、ケイタイのアンテナが
たつというか、興味のアンテナが自分にたつという表現をしていた


絵についても、うつわについても、自分の好きなものという
感覚が生まれると、見ていられる
好きだなと思えないとみていられない


ほんものかどうかということになると、敷居があがる感じが
するが、実は近いのかもしれない。好きになることと
あるものが、いいかどうか、見極めること


日本のうつわは、ほんとうにバリエーションもあるし
日本食という、面白い料理とともに、楽しめる、文化になってると
思う。私の見方は、料理をのせたら、いい器かどうかということに
なる。そうしたことを思うと、なかなか面白い
自分の料理が映えるということを、想像するということが楽しいからだ


少し前、社員のひとりが、ものづくりにこだわりたいという
話をした。ものづくりをしてみたいというのは、とても素朴でかつ
高いこころがあると感じる。佐藤忠良さんが、今年の目標は
去年の続きですと、90歳を超えて言っていたという心境には
まだ届かないけど、あこがれる。
日本は、たいへん高い、精神的な高みを知った人が、作ってきた
文化がある。こうした文化をもった誇り高き自分たちを、いいと
思ってる。そうしたなかで、またものづくりがしたいということを
思ってみてほしい。


ほんものとは
自分の好きなものとは
語ってみたい
みつけてみたい