しばらく、鎌倉に行っていない

中学生のころだろうか、自転車で学校が終わってから、鎌倉までいって
帰ってきたこともある。高校時代、なんか図書館にいる自分ににつまって
しまった、土曜日、「歩こう」と決めて、鎌倉をぶらぶら
したこともある


鎌倉は、なんとなく、心を落ち着かせたいとか思うときに
行って、ほっとする町だ。歩けるところが多いのがいいと
思ってる


北鎌倉の浄智寺の境内をかすめて、登っていくと、源氏山をとおり
大仏まえ歩くことができる。そのハイキングコースは気に入っていて
お天気のいい日は、富士山もみれるし、途中に「樹」という名前だった
と思う、見晴のいいカフェもあって、なかなか気分のいい感じだ


そういう、大好きな鎌倉に、ここのところ、半年くだいだろうか行けてない
鎌倉で、歩いて、お寺で庭園をながめたりすると、心が落ち着いてくる
ように思う。心を落ち着かせるその第一にいいと思う寺は
妙本寺だ。駅から近い。また境内がはじまるそのアプローチに
あたる、道がいい。鎌倉の寺は谷(やつ)の奥にある。アプローチの道を
歩いていくと奥にりっぱな木々が見えてくる。その木にむかって
歩き続けて、だんだん静寂が近づいてくるのが、いい。
谷の奥は、結構静かだ。いろんな寺のあるパターンがあるけど
たとえば、高台にある寺というのより、谷奥の寺のほうが静かなのではないか?
比べたことはないけれど。


もうひとつ、やはり谷奥にある、光則寺が好きだ
もう過ぎてしまったけど、海棠がとても有名だ
あの木はまだ、ゆたかな花をさかせているだろうか
20年前の春の日に、見に行ったのをよく覚えてる
光則寺は、花の多い寺だ。名前をあげられないけど
確か、山門のところに植わってる木々の名前を書いた
庭の図面が置いてある


鎌倉に行くという時間は、たのしい、いい時間だ
自分で、そうしたいい時間を作るということってとても大事に
思える。
結構自分はさみしがり屋で、友達といっしょにいたいと
思うほうだけど、その友達との時間を輝いたものにしたいから
一層思うのは、ひとりで、満ち足りた気持ちを味わっておく
ということかなと思う


リンドバーグの、「海からの贈り物」というエッセイに
まさに、人は、ときどき、一年に一度、数日のとか
一週間に一度、もしくは一日に一時間とかでも
自分が満ち足りるための、時間をもつことを、書いているが
ときどき、そうしたことって、とてもいいなと思うように
なってる


ひとつは、いいものはいいと認める心を思い出すということだ
生きていれば、いろいろなことがある。そのときの立場
思いがあって、完全に客観的な視点というのは、そんなに
もてるものではないと思う
だけど、客観的な視点を忘れてしまうと、早くいえば、後悔するものだ
だから、と思う
ときどき、自分の自分の好きなことをできる時間で
欠けている、なにかを補い、バランスをとりたいと
思うときがある


鎌倉に行くのはいい
寺が、静寂を、海や花が季節を思い出すのに、いい
なかなか、いい時間がとれないが、半日でも鎌倉に
でかけてみようか