安曇野に行きたい

安曇野はもうおそらく10回くらいは行ってる
お気に入りの、特別な場所です


その場所、山にはさまれ、川が豊かに流れる
その土地そのものがいい。
荻原碌山が生まれたところで、暮らした家だとか
お墓にも参ったのだけど、碌山のふるさとだからいい
北アルプルの山々がみえるからいい
碌山美術館、豊科美術館をはじめ、アートにふれられるからいい


先週、健康保険組合セミナーで聞いた話
人間は前頭葉を鍛えることで、人間らしくいられるのです
ということ、そして前頭葉を鍛えるためには
文化にふれることですという話、心に響きました
そのことを、思いながら、人間がもっとも、人間らしい
茶の湯での、やりとりだとかを想像しながら、自分が
知ってる、芸術に対してのあこがれにも似た感覚を
思っていました


それは荻原碌山の、その生きた証といっていい
「女」という作品、その生き方、作品を作るまでの
生きた経緯が、心をゆさぶったことを思い出してるからです
大切な友人というか先輩の、奥さんとして、知り合った相馬黒光
恋して、その恋心をずっと心にかかえながら、慕い、
身体を悪くしても、心は純粋なまま、最後は作品にたくして
死んでいく
そのはげしさ、純粋さにひかれるのでしょう


女性を愛するという、そのつながりでいくと、豊科美術館に
常設展示されている、高田博厚も、心ひかれる作家になります
多くのトルソーについて、なんどかみるうちに
これは、高田の女性への賛歌といったらいいか
愛した人の、一番美しい、女性らしい部分を作品に
するという行為なんだなと気が付いた
ここにも、静かなはげしさがあると思った


おそらく異性を愛し、その表現が芸術になるって
ある生き方をする作家には、自然なことなのでしょうが
そうした、純粋さは心を打ちます
そうした、生き方がおそらく、人間が生きる、人間が人間らしく
ひとりの人間を愛し、それを高めて、生きるということに
力強さと、精神性の高さを伴うものに、つなげていくと
いっていいかなと思います


人は、毎日仕事や日常のいろんな煩雑なことに追われて
心をあらうようなというか、気持ちをこめて、自分の生きてることを
確認することって、ときどき、忘れてしまうようにも思います
そうしたとき、アーティストが残した、生き方にちょっと
思いをはせたいと思います


安曇野は、特別な場所。何度でも行きたい場所
心が、ちょっと、しぼんでしまったら
ぜひ、思い出して、碌山の生きざまに心をうつし
高田の愛し方にあこがれながら、自分の心を
また強くして、呼吸してきたいと思います