読書会

20代の前半のころ、何度か仲間と読書会を
してみた。
題材は、高野悦子二十歳の原点とか
遠藤周作の海と毒薬、松谷みよこのふたりのイーダ
があったのを、思い出す


読書会をしてみたのは、話し合いがうまくなると
いうことに興味があって、そのとき仲のいい
仲間が本が好きなのがいたからということが
ある


20代では早かったかもしれない
なんどかやって、限界を感じた


話し合いって、ほとんど、みんなそうなのだけど
目的について、合意していないとうまくいかない
ということがある
参加する人が、やっぱり楽しむということで
とても、意識が高ければ、おそらく相当な部分、
なにをやっても、楽しいし、深まると思う
参加者同士、関心とコミットメントをもってると
いっていいと思う


ところが、ほとんど、無理やり誘われたり、意識をあわせる
まえに、いろんなことがばらばらだったりということが
多くて、どうかすると、その場にいることが
借り物みたいに、感じてる人もおおいなか
話し合いは、漂流といっていい感じになりやすい


ファシリテータとなる人は、そういう人も
話しやすいように配慮しながら、やるということに
なるのでしょうが、やっぱりそれでは、なかなか話が深まらない
ということもあるでしょうね。第一ファシリテータが許容できない
話題になったら、そこで、おそらく難しくなる


先日、友人と会話していて、50代からこそ
楽しいときがはじまるということがあると思うと言いました
それは、ひとつには、たとえば20代、30代と比べて
ということになるでしょうが、気持ちに余裕があるから
ということになると思います


もちろん、人生、どう生きるかなんてことについて、
人にもよるでしょうが、20代だろうと、50代だろうと
答えはでていないのがふつうだと、思うし、極端に人間が
かわるということではないと思うけど、少しだけ
自分がこだわりたい、ゆずりたくない線というのを
意識できることで、その線の外側にあることについて
余裕をもって、対処できるということになるのでは
ないか、なんて思うのです


そんな、50代になって、読書会をする機会がめぐってきました
とっても楽しみです
読書会って、お互いの頭の中の、感じたことなどを
だせる場で、ほんとうに楽しみです
日常会話だと、頭のなかにあるものって、そんなに
ださないのだろうと思うのです
だから、親しい人のまえで、本を読んで感じたことを
しゃべってみるというのは、とても、楽しみなことです


いわば、ちょっと知的な、遊びで、そうした遊びって
実はあんまり、存在しないことを、思います
会話を楽しむってことは、とても刺激的で、自分の成長を
うながす、いいことなんですが、なかなかいい会話に
ならないことが多いのです


どんな会になるかなととても、楽しみになっています