河合隼雄先生

いま、社員のなかで、管理職の候補になってる人に
私が、人を指導するというときに、教科書と思って何度も
読み返してる、「カウンセリングを語る」という文庫本を読んで
もらってる
そこから、対人援助ということについての、ヒントをつかんで
もらおうとしてる


河合隼雄先生は、数年前に亡くなられたのですが、日本の臨床心理学の
イオニアというか、中心人物として、活躍なされた方で
とても、その著書において、自分は教えをもらったと思っています
その河合先生は、箱庭療法といって、箱のなかに砂場、家、人形などを
使って、自分のことを表現するという、まさに「遊び」に似たことを
使って、治療に役立てています


ここで、素直に遊べたら、きっとその人は、治るというか、治っていく過程で
相当すすんだといっていいと書いています
あ、もちろん、精神疾患といっても多岐にわたりますから
一般的な回答っていうのは、乱暴です
河合先生がいう、メンタルで、なにかしら、「育ちそこなった人」という
漠然とした、定義の人ということで、話をすすめます


たとえば、数百年であるとかあるいはもっと、前に、しまいこまれた
植物の種が、適当に、土、水、太陽にあててやるということで
芽をだし、しっかり花をさかせ、生きていくことができるという
例をあげています。人間も育ちそこなった部分に、適当に育つための
要素をとりもどすように、与えることで、育ちなおすことが
できるのでは?という話がのっています


そうしたとき、人間って、やっぱり自分で生きてく力をとりもどす
もしくは、育って身に着けてくということが大事であるなら
自分で自分のことを、客観視してるという状態が作れるのか
ということがあがると思うのです


人により、年齢は前後するかもしれないですが、自分のなかにもうひとりの
自分ができて、対話しながら、よりよく生きようとする
自分とのつきあいかたが、うまくなるといってもいいでし
ちょっとくらい、というか、そこそこ、「参ったな」であるとか
「困ったな」「これはしんどいぞ」ということを、かかえながら、生きてる
のが人間です。でもそこで、くさらずに、なんとかバランスをとって
さあ、よりよい明日にむかって、今日もなんとかやるぞ、であるとか
うん、こうした仕事を信じて続けることは、誰かしらに意味があって
つながっていくぞ、とか、「前向きな」気持ちを、大事にできる
自分というのを、自分で作り出してく


あいまいで、わからない状況を、自分のやりやすい、自分で答えをみつけてる
環境に変えていく。そうしたことを、自分でつかみとっていく
人間としていきることは、そうしたことの繰り返しです


ゆえに、自分のことを客観視して、安定して、バランスをとる
ということが、大事なのですが、たとえば、家族でしょうか
友人でしょうか、信頼して、自分のことを、語れる存在というのが
ある程度近くにいるという状態をもつということが、このとき
大事に思えてくるのです
自分のことを、気にしてくれて、そしてなにより、前向きに考えられる
仲間といってもいいかもしれないです
そういう存在がいるかどうかって、いかに大事か


カウンセラーという職業は、そうした存在を、ある人がみつけられる
お手伝いをするといっていいかもしれないです。そのための橋渡し
いっとき、カウンセラーがそういう役割をするということも
して、つながるということでしょうか


自分の思いというものを、外にだすということで
自分の立つ位置であり、存在そのものを確かめながら
生きる。そうすることは、おそらく人間にとって
知的な活動をするということについて、まるで食事を
するように、心の栄養としてとるために、どうしても
必要なことのようです
できれば、客観視しようという、気持ちがでてきたときに
そうした役割をできる、そんな存在でいたいと思います


生きることって、みようによっては、やっかいでしんどい
でも、別の見方をすると、こんなに素晴らしい、いい瞬間に
であえることって、ないのだと思う