旧友に会う

仲間と呼んでる、仲良くしてる人から連絡があり
いっしょにお酒を飲むことにする。何気ない、楽しみである
こうした時間、実はいまの私にはそんなに多くないことに
最近気が付きました
仕事やかぞくといった大事なことのあいだをぬって、友達に会う


もちろん、仕事や家族との時間という毎日といっていいことと
ちょっととらえ方のちがう時間、遊びといっていい
場合により、仕事と遊びという感じで比べてしまうと
仕事のほうが重く、大変で、遊びは軽く、どうかすると
なくてもいい?とか、はじっこに、追いやられてしまうような
感じもある


けれど、仲間との時間、特に自分をかざらずに出せる
相手と向き合う時間は、自分にとってとっても大事なことに
気が付く


ときどき、仕事で「自分のことをさらけだして」
言ってみるのが大事という話題をだすときがあります
これって、むずかしいじゃないか、って声がします。
実際、自分は?となると、仕事というか、会社を
経営するってことは、自分の人生そのもので、
さらけだすということに、躊躇はない。ゆえに
少しほかの人の感覚を忘れていたということが
どうも、ありそうだ
想像するに、仕事でつながってる(だけ)の人に自分を
そのままさらけだすって、結構難しいかもしれない


仲間と話す、自分で前にそのままの自分でぶつかり
かつお互い、相手を認め合った仲間だから、安心して
しゃべれるし、そのお互いを出せるということで
貴重だ
しかしながら・・・とちょっといくつかシュミレーションを
するように思い出してみる
いかに仲のいい仲間との会話でも、いわゆるさらけだしていい
話題は選んでいるということに気が付く


つまり相手が、受け止めるであろう話題については
さらけだすのだが、のべつ幕なしでどんな
話題もぶつけてるわけではない。
言い換えると、一部分をさらけだしてるのだという
こともできるし、一部分でもさらけだせる
ということが貴重だともいえる


さらけだすのが大事と言いながら、実際自分がさらけだせる
仲間に会うって、やっぱりバランスを取る意味でも
大事だなと思う
貴重な時間だと思う