言葉からヒント

司馬遼太郎のベストセラーの小説、「竜馬がゆく」のあとがきだったと
思う。坂本竜馬という、奇跡といっていいかと思う
幕末のスターについて、司馬が書こうと思ったのは
幕府を倒す、大きなキーポイントになった、薩長同盟の場で
坂本がなんといって、最後の気持ちを動かしたのか
ここを、描きたくて、書いたという話が載ってる


これも同じ小説からの、情報でどこまでそのときの、空気がそうなのか
確かめてはいなのだけど、おそらく信じてもいいことに
薩摩と長州が手をくめば、幕府を倒すことができる、新しい時代を
築くことができるというのは、公論だったという
つまり、おそらく読書階級の人であれば、「ありえないだろうけど
そういうことがあれば、世の中が変わる」とみんな思う状況が
あったという。


このことの、比較対象として、現代(小説が書かれた時代)とすれば
カトリックプロテスタントが融合すれば、キリスト教が変わるとか
(冷戦時代の)ソ連アメリカが、融和できれば、世界平和が実現できる
とか、そういった、そのとき、「決してありえないだろう」ということが
前提となった、公論だったという説明が載ってる


このありえないだろうという、状況のなか、坂本竜馬は(小説では)薩摩の
西郷隆盛と、長州の桂小五郎を、会わせて、同盟するということを
成し遂げる。このひとときのことを、書きたくて、司馬遼太郎
何年も資料を調べ上げ、文庫本でいうと8巻に及ぶ小説を書いてる


いつかも、どこかに書いたのだけど、坂本竜馬ならではの手腕の発揮の
しかたとして、いきなり、同盟となるのではなく、まず商売からだと
いう感覚ですすめるのが、面白い。長州は、長州征伐と称して、幕府が
やってくるときに、武器がほしい。薩摩は?きっと京都で食べる米には
苦労してるはずだと、目をつけて、武器を薩摩名義で買い付ける
ということを、やる。こうしたビジネスから、すすめるという手法は
面白く読んだ


さて、本題。
言葉って、どうなんんだ、って思うことがとてもある
つまり、言葉って不完全で、誤解を生むし
だいたい、同じ意味でつかってるつもりでも、その背景などを、思わないと
いけないように思う。むずかしい言葉は定義がいる
そんななかで、わかりやすい、ぽんと、腑に落ちる言葉というのを
やっぱり、いつもさがしてる


坂本竜馬が、同盟をすすめる一言を、双方がいいださない状況をみて
「吠えた」という。長州がかわいそうじゃないかと
そうした、気持ちが気持ちを動かすということが、やっぱり必要なのかと
改めて思う
相手がどんなことを、思っていまそこにいるのか、感じることができる
ということが、重要ということがあると思う
だから、相手の心にしっかり向き合う、状態を作っていたいと思う


日本は、ひとつの見方として、数十年のながれでいうと、敗戦からたちあがり
世界のほかの国がうらやむような、経済発展をとげた。このことは
本当にすばらしいこと
そういうなか、いま景気が低迷してるという。これも、見方によるのだけど
比較するなら、ヨーロッパのフランスであり、イタリア、スペインといった
国と比べるなら、いいえ、景気はいいんですと言えるように、思う
アメリカとどうなのか、イギリスやドイツとどうなのか、それは
比較のしかたによるのかもしれない
そうした、ポジションを、数十年維持してるってことは、状況を
思うと、すごいことだろうという見方もできる


おそらく言えるのは、20年とかいうスパンで思ったとき、いままでの
20年より、これからの20年は、やはり、厳しいことも多いと覚悟すること
ということになるように思う。「勝ち組、負け組」といった
言い方も、結構きらいなのだけど、そうしたことが、ああそうなのかも・・・?
と思うような、状況がふえるのかと感じる


人間は仕事を通して、自己実現していくということが大事だと思う
先人の言葉をしっかり、受け止めて、今日どう生きるかということ
まずみつめて、大事にしたい