学園前

近鉄奈良線の学園前に降りてみた
目の前が、帝塚山学園大学。ほんとうに駅の
前で、これは通いやすいなと思いました


この学園前には、美術館があって、それが目当てで
行ってきました


近鉄5代目社長、種田虎雄(おいたとらお)が
日本美術の素晴らしさを世界に向けて発信できる施設を沿線に作ること
を望んで、作ったという施設、大和文華館に
まず行きました


その敷地の様子(池に面しています)、本館への
坂道にさきみだれる、花たち、など、ついたとたん
いいな、と思います。大阪の都心から1時間かからない
閑静な住宅街に、こんな素晴らしい施設があるのは
うらやましいなと、思いました


こうして、公設じゃない美術館で、そのたたずまいのよさ
また、日本美術にこだわるという点で共通なのが
青山の根津美術館、また、上野毛五島美術館です
そうして、思い出すと、この3つとも鉄道の会社に
ゆかりの美術館だと気が付きます


和文華館では、酒井抱一という江戸時代の画家の
展覧会が開かれていて、楽しみました
姫路藩の藩主の次男として、生まれた酒井、貴公子として
ふるまったみたいな、話がありました。どうも、そういう
おぼっちゃま君の話はついつい、反発を覚えてしまうのですが
作品や、やってることの足跡などを、みていると、そうも
反発しなくてもいいかという気にもなりました


さて、大和文華館の池をはさんで、向かいの場所に
中野美術館という、小さめですが、とてもこれも
たたずまいのいい、美術館がありました
そこで、昨年京都市立美術館でみかけて、いいなと
思った画家、村上華岳の展示がありました


村上の絵は、孤独感をおそらくベースに、ふうわりとした
なんといったらいいか、少し浮世離れしたというか
浮遊感ですね。これが前面にあるように思います
ゆえ、みていて肩がこらない絵になってるのがいい
ように見えます。そんななかに、一心に生きるということ
みつめてる作者の心がみえてくる感じがします


村上の絵、去年京都でみて、覚えているのは
花見で、ふんわりした踊りを踊る、少女の絵でした
ふんわりと踊りを踊るというのが、村上の
イメージになりました


絵を描くというのは、画家にとっては
生きることそのものでしょう
事実村上は、山を描くのも、仏像を描くのも
自分にとってはかわらないことだと、つぶやいています


このふうわりとした、絵を描いた人に会ってみたくなりました
もちろん、時代がちがうから、先様はもう虹のかなた
わけですが、もう少し作品にあいたくなりました


ときどき、心に届いてくる絵。そんな絵をながめて
自分の生き方を思うような時間がもてる。そんな
ふうなこと、とてもしたくなりました