ブログの楽しみ

ブログ、日記とおそらく、自分の内面の告白というか
自分との対話であるとか、そういった、なにかを
いいこととしていくというような、思いがあって
楽しいと思ったりするのです


最近、知り合った人のブログが、なんというか自然体に
近いようにみえて、少しうらやましくもあり、自分とは
やっぱりちがうかなと思ったりします


このブログは「社長」と書いてるとおり、社員が読むというのは
少なくとも想定してるので、自然体で書こうという部分も
あるのですが、「みんなを元気づけよう」とか
「自分がしゃんとしていよう」とかという、肩ひじ張ってやるぞ
という感覚がはいります


まあ、実際社長なわけだし、それはそれで、必要だなと思ったりするし
やめるわけではない。でもさきほど書いたしりあいのブログを
ふと、読んだりすると、あー、自分もときには、そんなに
肩ひじ張って「やるぞ」が前にでなくても、いいかもしれないと
読む側にしたら、この人は、ほんとにがんがん行こうとしている
それは、元気なときは、いっしょに元気に行こうと乗れるけど
そんなに、元気いっぱいな時ばっかりじゃないなー
なんてね。思われるかもしれないなと感じます


まあ、それはそれ。


さきほど、書いた最近知り合ったかたのブログを読んでいると
きっと「表現したい」という思いはあるのでしょう。そしてそれは
季節であり、身の回りの自然、おそらくその人の心に去来した
人、風景、本、詩などを、ときにあわせたり、ふーっと
息をはきながら、しみじみながめたりして、でてきた言葉たち
のように思います


こうして書くと、もとにもどってしまいますが
やっぱり、元気、今日もやるぞと、思ってばかりでなくて
ときには、息をおおきくすってはいて、ふーっとしてる
ときの思いも書いてみたらいいのかも・・・


ブログはいろんな楽しみがあっていいのでしょう
学生のときの、後輩である大学の先生をしてる、おだやかで
かわいいやつがいますが、その後輩も、毎日のように
ブログを描きます
まさに、日々起こることを、家族のこと、学校でのこと
旅先でかんじたこと、さらりと、そしてやっぱり、教育者
人を育てよう、育ったらいいなという視線をいつももって
書いています
その彼の場合は、そういう、育てようが、まさにひとつの軸と
なって、いっぽん通ってる感じがします
だから、読んでいて安心


人は、たとえば人にある印象をいだくと、それが
変わらないで、一貫して続いてるということに安心する
ということえしょうね


私のブログも、適度にバランスをとりながら
積極的に、人を育て、事業を展開するのに、自分を成長させ
人から信頼されるには?ということを
考え続ける、そんなふうな
ありゃ、ずいぶんよくばりだな・・・