人はなぜ学ぶのか

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の一回目のシーンにて


吉田寅次郎は、明倫館に集まった若者の前で声をあげる
人はなぜ、学ぶのか 出世のためでも、家のためでもない
与えられたお役目のためでもない


己のためだ


この今を生きる、自分、己のため、いま自分が何ができるのか
どんな役割を世の中で、日本のためにできるのか知り
己を生かすためじゃ


こうした心を打つ言葉を言う。少し思い出すと
司馬遼太郎の小説からになるけど、こうした「熱い」状態を
長州藩は藩全体で作り出していくという。やがて藩全体が
一丸となり、燃えだした火の玉のようになって、明治維新まで
駆け出すのだという、表現があった。


吉田という人は、人をくっつけて、人を熱くする人だったんだ
と創造できる、そんなシーンだった


幕末から維新は戯曲だと、司馬は言い切る
戯曲といっていいほど、個性、またまれにみる才能をもった
人材が、キラ星のようにでてきて、19世紀の日本に
奇跡を起こした。維新は奇跡なのだ


上記の吉田の言葉にも、「日本」ということがあがる
その当時、藩であるとか、幕府ということは意識のなかに
あっても、日本という意識を持ってる人がきわめて少なかったと聞く
そういうなかで、日本をよくしたい、日本を変えたいと強く願った
という心の大きさ、斬新さ、すごいことでしょう


人はなぜ学ぶのか
実際はずっと、自分で自分に問いかける、命題でしょう
10代という多感なときに、そのことに気付けるか
そうしたことを、すごく思う
吉田が、若者に問い続けたこと、それは全然古くない
いまも、真実として、輝くような言葉なのだと
このシーンから想像する


人はなぜ学ぶのか
なぜ、生きるのか
生きた、証といっていいことを、どんなことに求めるのか
若いときは、迷っていい
ただ、ひとりで、悩まないでほしいな
明るく、迷いながらも、スクラムを組んで
仲間と意見を交換していってほしいと思う
そんな場に当社はなりたい