学び甲斐を求める

人間って、学ぶということについて
どういうときって、いうのが、学ぶチャンスなのか
それは、学び甲斐があると感じてるときではないか
そういう意味の、文章を読みました

「学ぶ力」 by河合隼雄 工藤直子 佐伯胖 森毅 工藤左千夫 岩波書店 より


佐伯胖によれば
1990年代にはいり、学ぶということの心理学からの解明をすすめてるところで
「仕事場」でどのように学習してるかということが、重要なポイントとして
あがるという説明があります
学びは、知識や技能を身に着けるということ、ではない、むしろ、「一人前」として
認められること、いわば、その人の「アイデンティティ」が形成されることだということです
したがって、知識や技能は「穴だらけ」でも、その人の判断がなんらかの局面で
「頼りにされ」たり「任せられる」とされれば、学んだ甲斐があるというわけです・・・


このことは、「クラブ」において、先輩から後輩へ伝えるということが
あって、そのクラブにみんなが愛着をもって、活動していくということが
起こるなんてことも連想させる


さらに、昨日、この学ぶ力を読んだことを、つらつらと考えながら
うちのかみさんと、しゃべっていて、かみさんのなにげない言葉が
ぴたっと、例にはまると、思い当たります
それは、かみさんの会社でも新入社員がはいり、ちょうど、はじめて
店にでるということが起こったという、話でした
新入社員はまさに、緊張の連続のなか、ぎこちなくやる。その新入社員を
一番フォローしてるのが、去年の新入社員、つまり2年目の人だという
話なのです


極端にいえば、つい、数日前まで一番下の一番、店のなかで、まだまだ
頼りなく見えた、2年目の社員が、新入社員がはいって、「教えなければ」
という気持ちをもつと、とたんに、シャキっとして、自分から新入社員を
教えてる


じゃあ、この数日にすごいことが起こったの?いいえそんなことは
なくて、やっぱり「意識」の差からというkとおなんじゃないかと
推察します
つまり、自分が一番いま目の前で緊張してる新入社員の気持ちに添える
存在だし、教えなければ、という意識ですね
それと同時に、教える存在になったということで、会社というコミュニティの
存在感を、得られるという気持ちなのでは?アイデンティティに近いものを
得られたという感覚でしょう


何度か、その実際のお店にも言ってる私としては、まさにそうしたことを
やってる人の様子が目に浮かぶようで、上の佐伯先生のいいたいことは
これか、と思ったのです


当社も、全社員の1割を超える人数の新入社員をむかえて、まさにいま
先輩社員が、教えるという機会を得ています
そのことが、会社を活性化させると、信じてそうしたことを
あえて、やってるといっていいでしょう
そのことを、自分事して、利用できるか
その一点をとっても、気にしています


会社は、なにをもって、会社として存在してるのか
採算といった、こともあります
客の存在という見方もあります
ただ、ずっとやっぱり、私の意識のなかにあるのは
その会社に所属したいという意識がもとになってるのでは
ないか、ということです


教えるという行為は、自分が学ぶということで
とっても重要な要素なのは、何度くりかえしてもいいくらい重要です
自分は社長というポジションにしていただいて、具体的なことは
あまり教えられないのですが、方向の確認といったことでは
常に気を付けてるつもりです


じゃあ、その方向の確認って?てなことを、掘り下げていくと
結構、あぶなっかしい状態が見えてきたりするのですが
いつも書くように、そうしたこと、どうすすんだらいいのかの
答えをもとめていくようなことは、本当に「生き方」そのものに
直結する部分までふみこまないと、なかなか語れませんね
ときどき、でもやりましょうね


ちょっともどって、教えるということを通して、学ぶ意味を理解
深めていく、学ぶ、学ぼうという気持ちを育てていくことが
大事です。そのことを、後押しすることで、いい状態の人が
わが社にいるという状態が保てると信じています


さてさて、今年の新入社員研修はどんな感じで進むでしょうね