対人援助という、キーワードで、河合隼雄先生の著書、「カウンセリングを語る」
という本を、読み返してる
読み返すたびに、対人援助、誰かが育つということを、自分はアシストするという
ことに、意味、価値を見出す生き方がいいと、思うようになってきました
クッキングパパの最新刊にて、主人公の仲良しの「メガネさん」がつりの
師匠に出会い、その師匠がワカサギ釣りを、教えるというシーンが
出てきます
その師匠、その日は、ぜんぜん、自分では釣らず、めがねさんが気持ちよく
わかさぎを釣り、とれとれのわかさぎを食べて、満足するための
サポーター役に徹します
めがねさんが言います。そんな自分ばっかり釣っていて、悪いですよと
そうすると、その師匠が言うのです
今日は、ボクが作った竿で、めがねさんがつりをして、ボクが用意した
塩焼き、天ぷらを食べてもらって、満足してるめがねさんがいる
そうしたことで、僕は満足できるんですよと
実際、スポーツでも、こうした趣味の世界でも、サポーター役になって
それが楽しいという人がいる
スポーツのコーチはまさにそうだと思う。何年かまえ、野沢温泉でお世話になった
スキーのコーチは、まさにそうした感じがしました
スキーのレッスンをして、仲良くなったコーチ、次の日はオフだったらしく
ゲレンデで、仲間といるときに、また会いました。ちょっとだけいっしょに
すべろうと、また一緒にすべって、ぼくらがうまくなったのをみて
とっても満足そうでした
人に教えるということを、通じて、自分自身のアイデンティティを感じる
という人がいることは、前から知っていました。そしていま、この時代に
そうした人は、ますます存在感を増してると感じます
なにしろ、実践を教えるという人が極端に少ないのです
いいえ、実際能力はあっても、教えるという機会をもらってない
ということもありそうです
まえにセミナーで会った、柴田励司氏は、名付けて
「集団皿回し状態」としています。本来サポートをする役目の管理職も
自分のノルマで精一杯。サポートをやる機会を与えられてないということが
ありそうです。さらには、業務の細分化です。だれもその人自身の
状態を把握するということが、できなくなりつつある
そこで、いままでの手厚い組織、日本的なコミュニティが残っていた
やりかたでは、対処ができない、状態が「放置」されてるとみていいと
感じます
だから、相手の話を聞ける、聞きだせる能力と、本人に伝えるべき情報を
知らせて、いい方向へひっぱる。また、ときにはこちらがわに巻き込む
こうしたことを、十分にトレーニングされた、上位者がしっかりしないと
いけません
聞く事:Listen 知らせる:Inform 方向付け(ひっぱる):Lead
巻き込む:Involve
そうしたことを、してもらう前提に、「育てる心」があるのか
という見極めがほしいところです。社員が育つこと、育てるということに
ついて、そのことが自分の喜びとできるのか
こういうことを、書くと、仕事ってそんなこと、見極めてることを待つのは
できない、という声が飛んできそうです。確かにそうなんですよね
1年という期間が、ビジネスで大事ということは論を待たないと
思うのです
そのうえで、1年で、上に書いたような「育てる心」を該当者にもってもらう
なにかが、あなた、できますか?
そんな話になると、勢いちょっと、否定的な見解をもつということに
なってしまいそうです
でも、こだわりたい
なにに?「育てる心」です
だったら、なにができるだろう
自分はいま、どんなことを、すべきだろうか?