風のかたみ 伊藤玄二郎
このエッセイは、自分がアートの世界に惹かれていく
きっかけを作ってくれました
パリでの生活経験が長く、ロマン・ロランと親しくなって
ガンジーの顔を彫ったり、著名人という意味では中原中也を
彫ったりしてる
おそらくは、トルソーが、有名。
この人の塑像について、安曇野の、豊科近代美術館で、鑑賞してます
トルソーは、いわば、女性の美しさの結晶という見方が
できると思います
清水多嘉治
同じ信州ですが、八ヶ岳美術館、ちょうど5年ほどまえの社員旅行で
訪れたのですが、八ヶ岳のふもと、原村のペンションがたくさんある場所から
ほど近くにあります
高田と、作風は違いますが、女性像がたくさんあります
高田が、その生き方そのものに、自由でストレートな愛し方を
するとすれば
清水は、おそらくは、もっとおだやかな、女性へのまなざし、愛で方を
するのだとうと、想像するような作品のように見えました
見ていて、気持ちが、おだやかになるというコメントを、いっしょに行った
私のつれあいは、つぶやきました
冒頭の風のかたみ、というエッセイには、高田博厚であり、里見惇であり
有島暁子の話と、アートに関連する、トピックスがあって
何度か読みかえしていた、私には、ちょっとアートがあこがれの世界になった
という、そういうガイドみたいな、役割だった
先月、信州新町をたずねて、松の屋敷を、琅鶴湖のほとりに尋ねました
一度、エッセイで読んでから行きたいとずっと思っていました
松の屋敷で、有島生馬の仕事をみたり、有島暁子さんの足跡を
たどったりして、また、風のかたみで読んで、あこがれた世界が
頭に浮かんできたのです
琅鶴湖をわたり、パンフレットにあった、上の平の展望台に
あがると、北アルプスの山々が、ぼくらにあいさつするように
雪形をくっきりうかべて、その威容をみせていました
こんな自然の美しさをまえにしたら、もう言葉がない
しばし、茫然と足をとめて、ながめて、そのうちどの山が
常念岳だろう、あれは鹿島槍ヶ岳かと、山の形を追っていました
おりてきて、松の屋敷から、琅鶴湖をみて、水面をわたってくる
風を感じながら、少しだけ、明治、大正、昭和を生きた、アーティストの
生き方をなぞりました。
ほんとのところ、アーティストがどう考えて、どう感じたかなんてことは
やっぱり、遠い存在には、ちがいないのですが、美しいものを
見ようという、その気持ちが、はずかしさであるとか、自分のいろいろは
ほっておいて、アーティストの足跡になんらか、ふれていくということの
躊躇を、興味がとりはずして、足がすすみます
なぜか、鎌倉から、信州に移築されても、かつては鎌倉にあったんだという
意識が、親近感を覚えました
旅は、アートへの思いを、呼び覚ましてくれますね