6月の雨

今朝の雨は、まとまった量をふってるなという感じがします
雨は、傘をささなければならないし、やっかいなのですが
草や木が喜ぶなんて、のんきなことを、思ってやりすごすのが
いいなんて、誰かが言っていたのを、思い出したりします


雨の日のウォーキングはできるだけ、木のあるところを
選んでます。もっとも、都会の街並み、街路樹なんかも
あらためてみると、雨がしみこんでいく地面はほんの
少しで、コンクリートでかためられていたりすると
せっかくの雨も、この木はどれだけうれしいのだろうなんて
思ったりします


久しぶりに、雨の中を歩いていると、あたりまえのこと
つまり、自然のいろんなことのなかで、やっぱり生きてるんだなと
そんなことに、気が付きます


郊外に行って、山歩きなどを、すれば、空の青さ、太陽の光のまぶしいこと
木々の様子など、やっぱり自然っていいなと、それだけ感じるだけで
自分の体が元気になっていくように感じるのですが
都会にいると、道はあるきやすいかもしれないけど、舗装されていて
かぜだって、どうかすると、ビル風だったりして、自然のそのままの
感覚はどんどん忘れてしまいます


今朝は、ウォーキングして、早朝ということと、雨ということで
人は少なくて、まるで自然と少しだけふれられたような気持に
なりました。そうです。都会では人が多すぎるというのも
自然を忘れてしまう、大きな要素のようです


この夏は、一度か二度、山に登りたいなと気持ちが向きます
できれば、八ヶ岳か、北アルプスに行きたい。いいえもちろん
そのほかでもいいのですが、何度か行って、イメージしやすいので
八ヶ岳か、北アルプスにしておきましょう


4月に信州にでかけて、信州新町から見た、北アルプスの姿は
まるで、あなたの来るのを待っていましたよと、語りかけて
くれるように、美しく、みていて心がなごみました


山々を見ながら育った人って、きっと心が広いにちがいない
そんな連想をするくらい、山がその姿が、人を見守ってくれるような
錯覚があり、うれしくなる。ずっとずっとながめていたくなる


そんな信州の安曇野で生まれ育った、明治の彫刻家、荻原碌山
思い出す。
碌山のその命をかけた、作品たちから、ほとばしるようなエネルギーを
もう一度感じたい
碌山が、追い求めたものはなんだったのか。きっと永遠にわからない
想像するしかない
けれど、おそらくは、人間があこがれてやまない、唯一の生き方、
男と女のありかた、そういった、理想に彼は命をささげたのだ
そう思って、その高さ、そのやりばのない、胸がしめつけられる
思いを、作品から、感じ取るのかもしれないですね


画家が、ある風景の美しさを、人々に知らしめるという役割がある
アーティストは、まさに、生き方において、あこがれを、人々に
感じてもらうという役割があると、言ってもいいのかもしれませんね


自然のなかに、なにかしら、気持ちをこめて
あこがれ?癒し?
そうして、対話するように、生きていけたらとても
素敵だと思います


そんなことを、思いながら、今年は山に行きたい
山で、自分の感覚を研ぎ澄ましてみたい