その日を大事に生きる

司馬遼太郎の、「坂の上の雲」の解説のところに
日本は、日露戦争でえた、蓄積を、太平洋戦争にむかって
まき散らすように、浪費したということが書かれてる


痛いことを、言われた、と感じた
まきちらすように、浪費する


いろんな人が、自分を含めて、せっかく得た、この人生を
まき散らすように生きてないか
自分という、可能性にみちた、存在を、活かせずに、まきちらしていく
一心に努力するということを、いかに怠っているか


こうした反省を、心に持って、生きていかなくてはならないのは
何十回、何百回と、機会があるはずなのだけど、そのたびに忘れ
また、可能性を、せっかくの才能をまきちらす


生きていくというのは、究極は、その日をいかに大事に
生きるのか、ということにつきるようにも思います


今日ウォーキングをしていて、とある、小さなお寺の入り口で
出会った文字


「笑顔と、やさしい言葉は、無財でできる、尊い供養である」


じんわりとします


おじいちゃん、おばあちゃんがやさしいというのは、こういうことを
肌でというか、自然とその生きたなかで、知ってる、実践してる
ということからでしょう。そんなふうに思い出すと
人間は、歳を経ないと、本当の意味で、生きるということが
大事で、尊くて、という心境にはなかなか、至らないのかも
しれないと思います


昨日は、お盆だったりするのですが、思い出すと
自分にとって、大切だと思う人が虹をわたっていって
残された人が、その虹を渡った人を通じて、その生き方
残していった、言葉をなぞることで、なつかしみ
もう帰らない日を思うなんてことで、、お互いがしっかり
生きるということを、再確認する、そんな日にしたいと
思ったりしていたのです


去年から今年は、いっしょに机をならべて、過ごした時間のある
人が、早くもお先に、と虹をわたっていくことがあり
そんなに、いそいで、いってしまうのですか、と
あたふたと、見送ったのですが。


そして、そのかたを通じて、少しだけ、残されたもの同志
心をあたためあうのが、いいと確認したりしたのです


生きてる自分ができることは、生きてる時間を、まきちらすのではなく
少しでも、意味あるものに、大事に使っていこうとすることでしょう
どうしたらいい?
そんなことは、人に教えてもらうことと、思っているうちは
やっぱり、大事には、できてないということなのかも
しれないです


方程式のように、なにかをすることで、答がひとつきまって
得られるというようなことは、実は生きていて、少ないことなのですよ
そういうことに、いつ気づいていけるか


そう気づけたとして、答は、にじりよるように、自分で生きて
つかんでいくしかない、この生きるということに、それでも
前向きに生きるということを続けるということの、大事さ。


実は自分も、折り返し地点は、過ぎたようですから
なんらか、自分のまわりにいるひとに、できれば、笑顔と、やさしい言葉で
いっしょにいて、よかったという時間を共有する、そんなリードして
生きることがしていたい