信じられるものを増やす

生きていて、やってきたこと
そういうことを、考えてみる
自分はなにを、やってきたのか


友情は成長の遅い植物であるといった
確か、どこかの思想家かなりいたと思います
そういうことを、思い、そしてつくづく
自分の宝物は、友人だなと思うとき


生きてきてやってきたこと、信じられること
信じられる人を、ふやすということかなと、
思います


「別れ」ということがあります
いっとき、いっしょに時間を過ごし
その時間が貴重だったにもかかわらず
別れがあり、そういう貴重なものを、失ったということ


いろんな要素はあって、ビジネスのめぐりあわせで、
いっしょに仕事したという場合、環境がかわって
しまうと、なかなか続かないということが
起こりえます。会社の方針とやらに
ほんろうされ、その担当からはずされるということも
ありますね


十代ということでいえば、みんな進路は現在進行形
ゆえ、たとえば高校時代の仲間は大学にはいるときに
別れがきます
いま書いていて、気が付きました。別れってあっていいのかも
しれないです。物理的な別れがあっても、高校時代の仲間は
気持ちではつながってる。いいえ別れがあったこそ
その気持ちは輝くということがありそうです


気持ちがつながっていくそんな、信じられる絆を
増やす


それこそが、「生きる」ということといって
いいと思います


昨年、銀座にできた、長野県のアンテナショップ、GINZA長野には
「つながる、というのは、継続的で双方向のこと」ということが
ありました
さっき、高校時代の仲間は気持ちはつながってる、と書きました
まさに、双方向で、継続的だからそう思えます


パズルのように、いろんないくつかの条件が
あわさっていって、いっしょにいよう、いっしょに
あることを、進めていこうという、現実の話になります


若いときには、ある特定のつながりが、「絶対的な」
信頼てきるものとして、存在してほしいと願っていた
というように思います
若いという、不安で、まだ仕事もできない、自分を信じるとき
その信じるべき、要素ということについて、じっくり考える
余裕がないというとき、そういう気持ちになるのは
いまはそれとなく、わかるつもりです


いまは、というか、これからは
そこそこ、考え方というか、ものごとへの接し方について
あることについては、こちらがどんなふうに接すれば
いいかえれば、若いときとちがって、少しは余裕をもって
接することができれば、その良さがわかり
いっしょに物事をすすめるときの、お互いのメリットを
だせると、感じるようになれた、気がします


だから、さらに信じられる人、信じてコラボできるものごとを
増やしたいと思います


思い出のマーニーのなかで、杏奈は、マーニーに風車小屋で
おきざりにされたことを、うらみ、絶対許さないと叫びます
けれど、マーニーが自分の部屋から精一杯の声をあげて
私を許して、と願うとき、もちろん許すわと、叫び返します


人は、相手を許すkととを通じて、自分を成長させることが
できるのだと、やっと気が付いた気がします


人と人は、お互いの人格を認め、お互いの良さを認め
ひきだし、生きていくのだと、やっと気が付いた気がします