チームのちから

学生のとき、演劇をやっていて
「アンサンブル」の楽しさ、力というのを
感じたくて、進めていたなと思うことが
何度もあります


よく演劇の効果として、舞台にたつ、役者ということ
だけでなく、照明ということ、衣装の係り、
大道具、小道具、また演出するということ
などなど、演劇ということをやるには
たくさんの人が関わり、その人たちが
ひとつの舞台を作るということで、結束し、力を
だしあうということで、進められるということが
あると、いうこと


アンサンブルということでは、そうした複数の人の
力をあわせていく、あわさって、パワーが生まれていく
そうした過程自体が、教育的な効果だとか、
つながってるという感覚だとか、まさに人間が生きていくための
いろんな、「基礎」だとか「さらに自分を鍛えるヒント」に
あふれてる、って思います


「気づき」ということが、たくさんあるのです
また、気づけるようになる、感性を磨くためのいろんなことが
あるようです


つい先日、2週間ほどまえでしょうか
登山の楽しみ方を紹介してるテレビの番組で、ひとりの女性の登山家が
山小屋の主人と、懇意になってるということを、描写して
こうした「感性」が素敵だと褒めていたことが、印象に残りました


人が生きていくのに、いろんなことが、ある、つまり「生き方」ということに
いろんなアプローチをしてますね。生きることは、生き方さがし
といってもいいと思うのです
そうしたとき、ここでいう、感性なるものは、その生き方を、自分で
いいと認める、助けになると思うのですね


誰かと仲良くなる感性がいいという
誰かと仲良くなるというのは、なにか共通のことについて
いっしょに、いいと感じられたり
または、ベースはあってのことにしても「お互いの違い」を
楽しめたりということになると思うのですが


いずれにせよ、気づくということが、ベースにあります
お互いを認めて、気づきがあって、それがいいねと
感じることから、はじまるのでしょう


ときどき、若い人を育てるという観点において
ああ、いっしょだなと思うことで、ぱっと親近感を
もてるということが、あります


自分が気にしてる、この点について、「わかるなー」となるので
もっと話したくなる。もっといっしょにいたくなる
こういうことの繰り返しではないでしょうか?


山小屋にいるということは、おそらくは、「自然」だとか
「山の存在」ということになんらか、思いをもってるのだと
思います。その点について、共感するなにかを
自然にだせて、うんいいと笑顔になれる


実は、自然をまえにして、その素晴らしさに共感するって
難しいことでなくて、体験した人は、その自然に包まれたら
きっと自然にできるよと、思うこと、とも思います


せっかく、生きているのなら、ちょっとずつでいいから
「いいね」「うん、またやりたい」ということに、多く出会いたい
そういう素直な気持ちから、前に進みたいですよね