古教照心

鶴見にある、総持寺曹洞宗大本山です
その境内のかなり、奥まったところに、古教照心という
額が掲げられています


古い教えに会い、心を、照らしてみる
いいなと思いました


なにか、ひとつのことを、やっていく
営業マンなら、営業という仕事、技術者であれば、技術を
通して、お客様に貢献、ひいては社会に貢献する
ということ。経営者であれば、コーディネータとして
仕事を進めること
あ、経営者のコーディネータはちょっと置いておきましょうか


ないをいいたいかというと、ひとつの、営業なら営業、管理でも
技術でも、そういう仕事を進めるということは
常に、知識を新たにとりいれ、そして、心を鍛えなければならない
ということにならないでしょうか?


医者ということを例にとってみたいのです
つい、診てもらう立場からということ
(医者になったことは、ないので)
想像すると、やっぱり最新の医療についてはくわしくあって
ほしいと思います
だって、その医者が10年もまえの医療の技術や実際しか
わからなかったら、困るじゃないですか
そういうこともあり、もちろん、知識、技術にたけていても
肝心の「人を治していく」という心がしっかりしてること
ということが、どうしても大事と思うと思うのです


これを、技術者と読み替えてみても
ほぼ、同じことが言えると言っていいのではないでしょうか
そして、営業ということにしても、やっぱりそうなのです
「技術」だったりは、自分のウデということではないにしても
おそらくは、いい技術とは?とかいま顧客に必要な技術とはという
ことについて、一定以上の知識がないと、顧客に利益がある
商談をすすめるということは、難しいですね


古教照心
そして、心ということが、そのうえで大事なんじゃないでしょうか
つまりは、相手がこうしてほしいなと思うことを、感じれてそのことを
常に実践する、そのための強い心です


仕事を進めるということは、いろんな要素が必要だと
思うことが多いのです
まさに、強い心、そして強い社員、強い理念、強い組織、ルール


生きていくということで、なにが生きがいか?
ということは、おそらくは常に自分で考えていくべき
ところなわけですが、まさに古教照心といったことに
ひもづいて、着実なところを、積み重ねてできていくなにかを
追っかけていきたいと思います


先週の会議で、受託開発を進めることに
どう考えるのか?という話題がでました
「やりたい」
じゃあ、その条件は?


実際、イニシアティブをとってすすめるプロジェクト
いろんなことが、必要ですね
顧客、顧客との信頼、顧客と交渉できる人
技術力、資金力、営業、組織、評価できる体制
こうしたことについて、まず自己評価がどうなのか
ということが、気になるところです


そうなると、評価って、最終的にはその人の心が
満足するのか、ということがあると思っているのです
人が、イキイキと働くということは、心の状態が
いい状態だと言い切っていいと思っています
その心が、常に上向き、前向きで進められたら
もう「生きがい」を感じて生きているといっても
いいのでは?という感じがします


当社はもうすぐ44期がスタートします
なにかがはじまる、そういうわくわく感をもって
スタートしたいですね