好きになる感性

人間が人間らしく、生きているというのは
なにかを好きになる感性がある、という点がそうなのだと
いっていいのではないでしょうか?


文化は、高めていくことで、「好き」ということから
離れてしまうようにも見えますが、入り口は好きということ
絵でも、音楽でも、スポーツもそうなのではないでしょうか


たとえば、誰もが注目するような、スポーツの選手、野球でもテニスでも
そんな選手に、あの選手はテニスが好きなんだななんて、あらためて
表現する人はいないですね
好きという、コンセプトははずれて、集中してるとか
なにかもう哲学といっていいような、すごさをともなったもの
になってるように、少なくともまわりは扱います


でも、単純に思うと、好きということの
くりかえし、深くするということも言えそうです


先週末は、繰り返し、行く場所、私が好きになってる、信州安曇野
でかけました。くりかえし行くと、それだけ良さがわかってくる
ように思える場所。安曇野に住み着いた、アーティストと
知り合いになったり、信州につながりがもともとあって、そこを
愛し、足をつけて、生きてる人の顔。


焼き物を見るというのは、その作った人の感性にふれる、といっていい
のかなと思います
土の感じがでる、焼き締めのうつわを、安曇野で見てきました
アツムイ窯。森岡光男さん、宗彦さんの親子が作る、うつわの世界
いままでも、なんどかそうのように、作品そのものでなく
ご本人の人柄とかに、つい目がいってしまう


光男さんの、自在鉤の話をしたときの、顔がすごくよかった
ように思うのです。ご自宅は、糸魚川と小谷にあった2軒の農家を
移築して、いい材料を残して、一軒の古民家ふうの家として建てたという
柱や、ハリをみると、おおとこの材料って、貴重だろうなと思える
すてきで、あこがれちゃうようなおうちです


居間と呼んでいい場所に、囲炉裏がありました
囲炉裏といえば、自在鉤が浮かびます。「わざと、自在鉤は置かないのですか」
と聞いてみたら、まだ、気に入ったものに、出会ってないのでねと
まるで、恋人との出会いを期待するような、そんな顔
いいえ、もっと深いな、どういう表現が適当か
わからないですが、自在鉤になみなみならぬ、思い入れが
あるのだと、そのお顔を拝見して、思いました


なにかを、好きになるということは、本当にいいなと
思えることです。鳥取、岩井窯の山本さんの、なにかに惚れる感性も
好きですが、全然人柄もちがうのですが、今回会った、森岡光男さんの
感性にも、ぴぴぴっと、私の心のどこかが、共振したように
思います


実際のところ、焼き締めのうつわについて、目に入らない
つまり、良さが感じられていないのです
徳利と、杯を求めてきました
それを、使いながら、焼き締めの良さを少しずつ感じたいと
思っています


それにしても、安曇野は、奥が深い
行けばいくだけ、出会いもある、発見もある
I Love 安曇野
続きます