評価の話

そもそも、人間が人間を評価するって、できるんですか


このこと、私はいま、答えられません
でもね。限定でいえば、一部できそうと考えます


人間そのものの大きさは測れない
それでも、いくつかの視点で、やるべきことというのはあると感じます
仕事をするうえで、必要なという観点です


ある仕事をしていくときに、見ている人って、必要じゃないでしょうか
スポーツでコーチがいるように、いまやってることが、正しいのか
どこまで習熟できてるのか。やったことの効果はどうか?


こういうことで、評価は大事とはいえると思うのです
だから、やってみてほしい


チームで仕事する以上、よくやってる人と、さぼる人がでます
だから、そのことをわかるような仕組みがいると思うのです
よくやってる人が、そのように扱われる、そういう仕組みがあって
「仕事のごほうびは、〇〇がある」とうい状態を作りたいのです


この仕組みが、機能していけば、会社はなりたつように
思います


ずっとまえから、「技術者は、人間として、どうなんだ?」という
問いを、自分自身、そして親しい人にも、伝えてきました
悪いほうにとると、「何か自分に『ウデ』があれば、人間と
して恥ずかしいことをしていても、生きられてしまう」
という状況を、ずいぶん見てきました


そういうことも、上記に書いた仕組み、つまり仕事で必要なことを
管理職と合意がとれて、すすめていれば、ちゃんと自分にとっても
見返りがある。という状況があれば、避けられるのでは?
という思いです


評価とは、本当は全体像は私も模索しているのです
だけど、これはやろうという、いくつかは、つかんでいると
考えます