いいお花見できたわー

今年は、京都でたっぷり、お花見ができました
特に、植物園の桜の木のしたに、シートをひいて、ランチ
したことは、きっと忘れないと思います


さいころの記憶。生まれ育った町にある、ちょっとした小高い丘を
公園にしたところがあって、そこの桜の木の下で
お花見をしたことを、覚えています
そうした、記憶とあいまって、植物園の桜の木の下は
居心地がよく、さらに桜も、まるで桜の木に抱かれてるような
感覚になる、いい場所でした


何組もそうして、桜をみてる人がいました
家族づれ、カップル、女性グループ、などなど。
少し自分たちより、年上の女性のグループの
人が、いいお花見できたわ、とつぶやいていたのが
語感というか、雰囲気がよーくつたわる感じで
なるほど、と感じました


言葉は、それぞれ、人が使うにあたり、その人がもってる背景と
くっついてるということがありますね。だから誤解を生んだりも
する。伝わってると思い込んで、そうでもないということも
ありそうです
だから、メールというのは、結構、やばいですね
言葉だけで、伝わると思ったら、おおまちがいということが
いっぱいあるのを、知っていなければ、こわいです


このいい花見ができた、というのも、同じ桜のしたで
こんなに、気持ちのいい、気分を味わってるという
いわば、共通体験があって、心に響くということがあると
思っています


人と人、できれば、感動を伝えあい、生きることの素晴らしさを
分かち合って、生きていきたいと思います
このことは、おそらくもっと、生活するということの、大変さを
身を持って知ってる、数十年まえまでは、相当な割合で
実感を込めて、人が思っていたことなのですね


そうしたなか、都市化が進み、さらには、いろんな意味で
生きていくということ、表面的には、楽になったように見える
いまの世の中、本当の、意味での生きることが、しんどく
なってるということが、あるようです


昨日も、ごく親しい人と話していたのですが、「昭和」の時代は
まだまだ、努力すれば報われるというか、信じて、まじめに
生きていけば、ある程度は豊かになれる、幸せになれると
みんなが信じられた時代じゃないか、という話をしました


いま、どうかすると、努力しても報われない、まじめにやっても
幸せになれない、そんな気持ち、社会での、いろいろが
はびこってしまってるのかとも思います


だからこそ、大事なのは、信じられるものをさがすこと
かもしれませんね。言葉も、誰かが、信じられるように
伝えていくということが、とても大事なのかなと
感じています


医者が人の命を救うことに、自分の生きるということを、かける
建築家は、人が幸せになる空間を、建物にこめる
経営者である、私は人材育成により、ひとりひとりが、生きる力を
ふやす、お手伝いをしたい


まず、いっしょに感動できる瞬間というのを、さがしてみたいなと
思っています