親子の世代差

NHK大河ドラマ真田丸にて
上杉景勝は、人質となった、真田信繁を息子のように
感じてるという、ストーリィ展開があった


先代社長、増地徳則氏は、おそらく私のことを
息子のように思って、接してくださったのです
実際、息子だと言ってくださったこともあります


それは、おそらくは、息子がほしかったということが
まずあるのではないでしょうかね


先週、親戚の家にお墓参りにお邪魔したとき
その家には、去年あいついで、孫が生まれて
その写真をみせてもらい、新しい命というのが
いかに、人に喜びを与え、笑顔にするのかというのを
感じました


師弟愛という言い方があります
私は、先代増地氏との間に、実際の親子の情に
似てるものも、感じましたが、おそらくは実際の親子では
なかなか、行きつくことができない、お互いを高めるという
いい絆を作って、ある時間をいっしょに仕事できた
ということがあったと、思っています


それは、増地氏の生き方の、高い志にある、人を育てる思い
事業を展開する、粘り腰といっていい、覚悟でしょうか?


人と人の絆ということは
人生の宝といっていいことではないでしょうか


やきものが好きで、何度かこのブログでも
窯元を紹介したりしていますが
島根の出西窯という、民藝の窯元があります
ここでは、いまも、師である河井寛次郎の言葉を
朗読してから、仕事にかかるといいます
おそらくは、ここで働く人は(というか、いま働いてる人
というより、そのひとまわり、世代の上の人)が
河井寛次郎と、師弟の間があり、その絆が
とても大きかったということに、なろうかと思います


とても、親しい人と話していたとき
人生の宝物といっていいことを、自分は持ってるという
話をしました
その相手が話したことは、親子の時間ということだったのですが
いろいろ、思うと、師弟の間も、そうした人生の宝といっていい
絆、仕事自体ということ、ありえるのだと、感じています


人間が人間らしく生きるのには
文化にふれることだ、と、知りました
そして、人間が人間らしく、文化を高め、自分の生き方を
より洗練させることができるということは、こうした
「宝物」を、持ってることを、正面から意識して
人に伝えることができる、可能ならそうした場を
自ら、もっといいものにできるように、生きる
そういうことではないでしょうか