ちょうどよいということ

研修であり、実際の業務においても
ちょうどよい、むずかしさがあるということって
大事だなと思います


人間、仕事をするということでも、遊びというか
プライベートで、スポーツをするのでも、なにか
趣味のことを、するのでも、ちょうどよい、難しさって
大事だと思います


こう書いていて、自分で自分が挑戦できる、ちょうどよい
ところを、見つけられるということもあるなと感じます
テニスにおいて、いっぺんに、うまくはなれない
ストロークであれば、まず、ラケットの真ん中にあてて
ミートしていくこのことのみ、できるようになろうとか
フォームをくずさずに、くりかえし打てるように
なろうとか、ありますね
すべていっぺんには、できない


技術においても、そうなのではないでしょうか
ビジネスロジックを、あるプログラム言語で表現できるように
する。一番簡単なものだったら、それこそ、その場で取り組めば
できるかもしれないです
でも、実際、プログラム言語の特性を生かしているかだとか
ビジネスロジック、その会社が、その会社の運用に携わる人が
使っていて、無理、矛盾はないのかであるとか、わかって
その仕事をするとなると、結構難易度はあがりますよ


仕事をするということは、一貫した、考えがあって
やっていく、ということが大事だということが
ありそうです
コンピュータシステムを、ユーザ視点で使いやすくという
ことがありそうです。けどそれだけでも、窮屈です
やっぱり、技術を磨いてる人が、満足できる、おっかける
ものもあって、なんぼということもあるでしょう


仕事をするということで、そのちょうどよさ、を
どこに置くのか、考えるって大事だと感じます


若い人には、できれば、1年、2年とかは、だんだん
難しいところを、挑戦できるように、指示をだす人が
調節をするということも、大事なこと、ともいえます


ただし、あまりにコントロールされすぎると、自分で
難しいところに挑戦するということが、少なくなる
という弊害もあるかもしれません


また、自分をおさえてく、自分で自分をコントロールして
挑戦すべきところを、しっかり見定めてやるということも
大事と、思います


なにを、言ってるかというと、忙しい日々を送ってると
本来、自分がいまやらなくても、他人でもできることなどに
翻弄されてしまって、自分が、ぜひいまやって、自分を
伸ばすということができる、ちょうどよいところを
おざなりにしてしまうということも、起こりそうです


忙しいのは、一面いいことなのですが、自分のいまの
レベルより低いことで、忙しくしてると
自分を高められなくなる、そういう危険が潜んでいる
そう、思います