つながるということ

GINZA 長野、という長野県のアンテナショップ、そして交流の場と
いっていい、場所がその名前のとおり、銀座にあります
「つながる、ということは、双方向で継続的なこと」という
言葉がありました


こうした、つながってる、つながり、ということ、生きていくうえで
なんて大事だろうということ、くりかえし思っています


昨年は、いとこの家で結婚式がありました
そのとき、まったく初めて会う、いとこが結婚する相手の
親族の方と、つながっていくということ、感じました
特にお嫁さんとして、その家の家族になるということ
その本人のこれからを、思うと、いいつながりができると
いいなと、強く願いました


結婚というのは、本人同士がつながるということももちろん
大事ですが、家族どうしがつながり、いろんな時間軸のうえでも
つなげていく、そしてお互いの縁ある人と、つなげていくということが
いかに大事か、そんなふうに思いました


先月、身内がひとり、虹をわたりました。
昨日までの連休に、その埋葬においての、いろいろをしながら
人間ひとり、虹の向こうに送るということも、つながるということを
確認することだな、またつながりができたりするんだなと
感じました


生まれ育った、場所において、隣の家の、お姉さんは、もう数十年
ここに住んで、私はあなたのご両親を、自分の親が亡くなってからは
親とも思って、慕っていたという話をしてくれました
生活していくということは、ただたんに、生活のいろいろが、できれば
すむということではなくて、やはりお互い、気に掛ける人がいて
声をかけあいながら、心に風を送りながらといえばいいか
つながりを、確認するから、気持ちが、前にでるということが
あるのではないでしょうか


そういうことを、感じられる、ひとときでした


記憶は、肉体はこの世を離れても、その人の生き方、言葉、気持ちを
そのまま、生かしておくためにある、そうしたことも
感じました
灰谷健次郎の小説の言葉なのですが、まさに、虹を渡った人と
つながりを、もつという、気持ちがやすらぐ、言葉
そして、生き方といえるのでしょう


身内であり、親しくした人が、虹を渡るということは
気持ちがどうしても、ふさいでしまうような、身をきられるような
痛みがあることで、つらいのですが、一方、つらいからこそ
その虹を渡った人のぶんまで、生き切ろうと、心に誓う大事な
日でもある、とのこと。これは田辺聖子の、ドラマでの
セリフですが、大好きな、一節です


このことを、引用し、先日の身内の式典でのあいさつをしました
生きること、充実した日々を送ること、このことが
なによりの供養であり、なによりの、生き方、まわりの人と
つながりながら、前に進む、唯一のやりかたなのだと
信じています