寺子屋

先日あった、会社説明会。参加してくれた学生のかたが
寺子屋って、いいですね。という反応をしてくれました


寺子屋は、当社の原点のひとつなんですね
具体的には、創業者増地氏の自宅では学習塾が
ひらかれていた、ということがあります
教育者として、思いを持ったこと方でした


寺子屋というのは、教えるということの
いい点をもってると感じます
ひとつには、自分事で、ものごとに対処するということです
自分で勉強する内容を、決めるのです
先生はあくまで、助言者の立場です


これはすごいことで、中学生とかには、結構難易度が
高いようにも思います
けれど、そのことを、よしとして、育った塾の卒業生は
やっぱり、いいのですね


自分事で、ものごとに対処する
いいかえれば、自己実現をめざして、生きるということ
この一点、実際のところ、なかなかしんどい、ということも
ありますね
自己実現、自分にできることを、自分の能力、自分の努力
自分の環境などを、活かして、実現していくように、生きること


人間、実際、弱いところがあって、「やらないいいわけ」を
しつづけるだとか「才能をまきちらす」ように生きてしまう
というのが、結構ありがちな、ことではないでしょうか


自分の能力を一心に高めて、自分のできることを、みがきつつ
いい仕事できるように、生き続けることって、簡単ではないですね
そうしたことを、十代でたたきこむというのは、寺子屋って
すごいな、と思うのです


たとえば、座禅だとか、おそらくは「道」とつくようないろいろは
かなりの部分、自分と向き合い、自分に打ち勝つことで
いろんな壁を超えるということを、学ぶのだと、感じます


そうすることで、はじめて、他人に対しても、いい状態で
望むことができるのではないでしょうか?


自分がやってる仕事が、「対人援助」だなと感じることが
結構あります
そうであれば、相手のことを、俯瞰してみるといったらいいか
相対してる、その姿をとらえる、まっすぐとらえることと
同時に、時間軸だったり、広い視野といったらいいか
その相対してるその場所、立場を超えて、その人のことを
広くとらえてみてる、「目」が必要と思うことが
くりかえしあります


人を指導するなら、「高い自分」が必要です
高く、間口が広いということかな
そういう自分になるためには、やっぱり、自己実現のスタートのこと
思います


寺子屋が示してくれた、自分事の生き方を、思います