東山魁夷

美しい、ということに、こだわり続けた人
最初、東山魁夷に興味をもったのは、唐招提寺、御影堂の
襖絵について、絵具代は自分持ちですよという
話を聞いたときである
それも、半端な金額ではない。数億円ということだといいます


鑑真が、自分の生命の危険も顧みず、日本にきた
その日本の美しさを、表現してこそ、ふさわしいものができると
考えて、何年もかけて日本をスケッチしてまわり
日本の海と山を、描いたという話は心をうちました


今年の5月、東京ステーションギャラリーで、川端康成コレクションの
展示があり、そのとき、川端と東山魁夷の深い交流について
みることができました


もう少し前、東山の京洛四季という作品は、川端の依頼で
描いたといっていい、経緯があることは、東山の随筆から
読んでいました。しかしながら、展示会にて、手に入れた
解説を読むと、昭和30年代前半からの、交流は、ほんとに
深い、お互いを尊敬しあい、人間として、高いところを
目指してるからこそ、できる、高いもの、お互いを高めあうということ
が見えてくる、いいものだと、感じるようになりました


東山は画家で、美しいものを、ずっと生涯、追い続けます
川端は、小説家で、やはり美しいもの、美しい日本に
こだわりつづけたということがあるのでしょう


そして、お互いを尊重する、尊敬する態度が、私としては
あこがれに似た気持ちで、いいなと、感じいってしまいます


展覧会の図録の序文を書いてる川端は、その作品を
ほんとうに、気持ちを込めてみたようです
その書き方は、美の本質をはずさない、するどいものを
もっていながら、決して、高ぶらない、アートには
あくまでしろうと、ということを忘れない、謙虚さまで
感じます


そうです、ふたりとも、アートに対して、いいえ
すべてに対して、謙虚なのです
謙虚なのに、高いものを感じる
いいえ、謙虚であるから、とも言えそうです


昨日のブログで、どちらかといえば、若い人にこれからの
生き方として、まず自分が好きになることだと
書きました


川端が、京都が好きで、その京都の美しさを、東山の筆で
残してほしいと、依頼して、それを、澄んだ気持ちで受け止めて
見事に連作を描いた、東山。
その気持ちの高さ、確かさ、そして、力強さに、ほんとうに
気持ちが動かされるのです


京都がすきです。信州がすきです
東山魁夷がすきです
その生きた、足跡をまだまだ
追っかけてみたくなっています