自分で全部やるな

自分でやるのは7割にとどめよ


先週お邪魔した、備前焼の作家の言葉です
うーん、とうなりました


ご存じのかたは多いでしょうが、備前焼
やきもの、うつわ作りのなかで、一番難しいとも言われる
カテゴリーです。うわぐすりは使わない。焼くのは、必ず
昔ながらの、登り窯でしょう
それも、10日間は、焼き続けるというのです


こうした、厳しい世界にいる人が、自分でやるのは
せいぜい、7割。あとは、火(つまりは自然)にまかせる
のだというのです


ついつい、拡大解釈をしていました
人を育てるということについて、全て、自分の思うように進めては
いけないのだということ。ある部分からは、神様のみ知る世界が
あるのではないか


まえに、人事評価をするときに、よくつぶやいていたことがあります
人間は神様が作ったんだ。その神様が作ったものを、同じ人間が評価するなんて
限界があることさ。このこと、そのときとはちがった意味で
頭に響く気がします


若いとき、人事評価なるものをしなくてはいけない、という場面で
自分の逃げ口上的に言っていたのを、思い出します
それは、論外でしょうね
でも、いまあらためて、人を育てるということに、自分が正面切ってやるんだと
思っていて、かつその難しさを思う時
人事を尽くして天命を待つということでしょうか


あるところからは、神様のみが知る、部分があっていいのだと
感じ始めました


ときどき、このごろは特に、若い人と相対してるときに
いろんなことを、言うと、この相手の人の人生に大きな影響を
与えるんだよなと、感じることが、ままあります
そうしたとき、たまに、逃げ出したいような、衝動があるのも
事実です


いいえ、もうそんなことは、もちろんしないし、相手に悟られも
してもいけないのを、感じます。あたりまえといえば、あたりまえです


そういうことも含めて、自分の力の及ばないことは、ありえるのだと
いつも、感じて、そうした大切な仕事をしなくてはいけないのではないか?


おそらく、備前焼の作家は、大事な本質について、考えて、感じて
行動して、どうやっていこうか、ほんとうに高いレベルで考えて
きたのだと、思います
それに、ちょっとだけ、あやかり、自分の仕事も、見直してみたいと
感じました