鈴木其一

ふたたび、サントリー美術館にでかけてみました
同じ展覧会を2度見に行くのは、私ははじめてになります
もっとも、展示替えがあるので、同じ絵もありますが
ずいぶんちがう絵もあります


それで、同じ絵なのですが、目が釘付けになるのが
朝顔図屏風です


前回このブログで、数歩離れたところからみて
そのまま、近づいてみると、まるで絵のなかに
迷い込むようだと、書きました。


今回ふと、解説が書いてある、右隻の前にたち、ふと
左をながめてみると、左隻の一番右から二番目の折れる
ところ、屏風のたちかたから、見えなくなるのですが
そこに描いてある、朝顔がかくれることで
ぐぐっと、ひろい空間があくように見えました
それは、空に向かって、朝顔が伸びていくような
その真ん中に自分がいるような、そんな不思議な
感覚になりました


くりかえし、見る、朝顔の紫をちょっとおびたような、青です
NHK日曜美術館の説明で、メトロポリタン美術館の研究にて
わざと、膠をすくなくして、岩絵の具のざらざらを、表面に
だすことで、光を乱反射させ、深みのある、青をだしてるとのこと


そういう技術も、すごいのですが
映えるのです。青が。迫力がありますね


屏風のまえに、しばしたたずみ、結構混雑していたのですが
おそらく、美術好き、ファンといっていい、人がためいきや
表情をくりっと、変えながら、この絵の迫力と相対してるのが
わかりました
空気がちがうのです
おそらく、自分の見たことのある絵の、迫力を超えたものが
はいってきたときの、反応なのか、という感じがします


10年ほどまえだったと、思うのですが、上野、東京国立博物館
おいての、ジョー・プライスコレクションの展示にて、鈴木其一が
あって、その絵の表現がとてもよかったことで、鈴木其一の名前を
覚えたということがあります


それは、鶴の絵で、光の具合で見え方がちがうという
ことで、わざと、太陽光から、ろうそくに近い光に
変化させてみせていたように、思います


琳派というカテゴリーは、尾形光琳という天才がいますから
やっぱり、気になる存在です
そして、一度、長谷川等伯が気に入って(いまでも気にってますが)
その存在を、小説で知り、京都の智積院で、桜図、楓図にため息を
したあとに、琳派の絵をみた、タイミングがありました


遠近法をあえて、とびだして、描きたいものを、大きく描くという
のは、長谷川等伯から、続いてる手法かなと、感じました
いいえ、もしかしたら、同時代と思われる俵屋宗達も、やってる
かもしれないので、どちらが先とも、いえないかもしれないですが
そのときの、私の知識の範囲では、長谷川が先かなと思いました


絵に迫力をもたせるのには、優れた方法ですね


今回、夏秋渓流図屏風をみて、上記の手法がとりいれられてるが
わかります。そして、「屏風」という形を、うまく利用して
檜の幹が、近くまた遠く、見せているというのも、解説で
知りました。縦横無尽といっていいか、絵の効果を思って、いろいろ
工夫する天才といっていいかもしれません
笹であり、百合、また水流そのもの、左隻のだんだんにおちるところ
右隻のえぐれたような、岩からおしだすような流。どこも
なかなか、見ごたえがありました


美術を鑑賞して、なんらか、自分が感じるすばらしさを、こうして
思い出したりするのは、結構楽しい作業ですね
美術の素晴らしさは、いろんな、感じ方があっていいのだと
思います。鈴木其一は、そういう、いろいろを、思わせてくれる
そういう意味でも、大きな存在かなと、感じました