なぜ、ベストを尽くさないのか

昨日のこのブログの書き出しで
人間は、本来、生まれついて、そのときは
自分を成長させたいと思ってる
よりよく生きたいと思ってると、書きました


それは真実。
しかしながら、自分も含め相当な割合の人が
その生まれついての気持ちそのままに、自分を向上させる
ということを、実際はさぼって、「適当な」ところで
生きてる、ということが、あるのではないでしょうか


話はちょっと、飛びますが
スポーツをしていて、なかなかコーチの指示どおりって
できないものです。コーチの指示されたことが
どんどん、できて、うまくなっていったら
誰もが、選手になれると思います
そうは、なかなか、いかない。だけど
あきらめずに、そのコーチングをうけて、練習
するわけです


そして、それでも、あきらめず、自分であきずに
やり続けていけば、ちょっとずつですが、うまくなって
いって、ほんのちょっとかもしれないですが、できることは
ふえます


生きるということ、いろんな、自分の能力ということも
似てることが、言えるという気がします
そうして、思うのが、ひとつのことを、ずっと続けていく
というのは、本当に大事で、そして、大事なのだけど
大変なことだということです


しばらく、楽器はやりませんが、楽器の上達といったことも
そうなんじゃないでしょうか
高校時代にギターを弾いていました
毎日、ギターと向き合う日々。人によってはもっと
のめりこめるのかもしれないですが、自分なりには
のめりこめた、日々。やっていて、半年とか、うまくなるのは
よくわかりそう。でも、だんだん実感するうまくなるのは
やっぱり減っていきます。それでも、続けるということが
大事なんだなと思います


さて、生きるそのものということ
自分だったら、なにに、こだわって、そのことを
いわば、「ライフワーク」として、磨いていくのか
まだまだ、迷ってばかり、と思うことも多いです


リーダシップを発揮できる人を育てる
そういうことに、こだわってみたい、自分がいます
人のことを、リードすることができる、そんな人を
育てたい


話がいっそくとびですが・・・
ラポールの関係みたいなことって、聞いたことあります
相手と、気持ちが十分につながった状態
信頼できると、すんなり思えて、おそらくは
その相手になら、「素」の自分をみせられるし
感じたことを、そのまま、飾らずに話せる


人を育てるというときには、こうした関係って
やっぱり、欠かせないと思う時が
繰り返しあります


さて、そこに向かっては、どうやって
近づいていくのか?このあたりを、暗黙知から
形式知にしていく、見える化していくのに
挑戦してみたいですね