山種美術館

山種美術館で開催中の展覧会、「日本画の教科書」を見てきました


2日前に、かみさんが、スケッチはとてもいいという話を
していました。自分のみたものを、自分が描いてる、ただ
それだけ?かもしれないですが、その確かなこと、自分がことを
なしてるという、充実感があるのでしょう、スケッチの
よさを、話すのです


日本画の有名な画家たち、写生が大事だと、言っていますね


京都、明治のころは、老舗だったり、大きなお店だったり
すると、その家が持ってる、家宝の絵を、お祭りのときに
店頭にだして、見せたりしたというのですね。その絵を模写して
勉強したという話が、上村松園の手記に残っています
お手本となるような、絵の模写も大事。もちろん、自然を
スケッチするのも大事。こうして、改めて書くと
勉強するのに、自分なりの考えをするのが、大事、もちろん
古典であり、先達の知恵、知識を知るのも大事と
似てることだと、感じます


小野 竹喬の、「沖の灯」という作品に、目がとまります
ちょうど、去年瀬戸内海沿いに、旅行して、いい感じで
島がならぶ、景色をじっとみる機会があったのです
小野の表現した、夕焼けに染まる雲、その下で藍色の海は
心のなかの、乾いたところを、潤してくれるような
そんな、赤であり、青なのです


福田平八郎の、色の選択が、染まる葉っぱであり、筍を
鮮やかに、みせるのです。絵は絵です
だから、作家が描きたいように描く、そしてその表現は
ときに、見てる人の心に入ります


見始めて、しばらくたって、急に絵が、鮮明に見えだす
そんな感覚がありました
あれ、こんなにすごい、自分の目が急に視力があがったような
感覚。おそらく「光」として、とらえる目はいっしょのものを
とらえてるのですが、頭のなかで、構成できるものが
はっきり、くっきりしたのでしょうか?


山口 華楊の「生」(せい)という作品も、心がうきたちました
子牛の、うまれたばかりの姿。湯気がたってるような
その姿は、ぞくぞくと、自分の肌がざわめくような
生きるって、こんなにいいことなんだって、思えるそのときを
感じました
解説にあった、山口は、子牛をみたときから30年たって
この絵を、描いたということも、生きるということが改めて
すごいことじゃないか、と、人に言われた気がして
はっとなりました


画家が、その生きるエネルギーすべてを注ぎ込んで、描いた
作品が、心にせまってくる、感覚は、うれしさ、すごさ
なんていったらいいか、素晴らしいなにかに、ふれてる、よさ
というのでしょうか、いいものです
うれしくなります


自分も、よりよく、素晴らしい瞬間をもちながら
生きたい、強く生きたいと、感じれる、いい時間です