河井寛治郎にあこがれる

河井寛治郎は、民芸運動を主導した、陶芸家で
とっても、有名な方なのですね
最初に興味をもったのは、我が家にいくつかある
森山窯の森山さんの師匠だったということからでしょうか


本があります
炉端歓語、といって、対談録といっていい
河井寛治郎の人となりが、感じられる本です


そして、そんなつながりから、京都の河井寛治郎記念館を
訪ねたりして、河合の息遣いみたいなものを、感じて
想像をたくましくしていきました


少し似た、ここで、似たといってるのは、自分の気持ちの
傾き加減が似てる、という意味ですが、気まぐれ美術館の
州之内徹の存在があります


州之内さんの、現代画廊は、もし、州之内さんが生きていたら
ちょっといってみたい、画廊だと、感じます
もっとも、いまは相当人気がありますから、往時のような
雰囲気はない、ということも、あるのかもしれないです


河井寛治郎に惹かれるのは、人間が好きで、好んで
話をし、おそらくは、生き方の話、そしてアートである
とか、芸能の好きなことを、いっぱい語ってくれる
印象があるからです


お嬢さんの、河合須也子さんが、語る本によれば
お正月の餅花のかざりが好きで、年中かさっていた
というエピソードがあります
確か、おそらくいまでもなのですが、私がお邪魔したときも
なぜ、あるのだろうと、不思議に思ったものです


河合家は、年中お正月のような、そういう「ノリ」があったのだ
と推察されます
人が訪ねてきて、いろんなことを話をします。その相手をする
河井寛治郎も笑顔で、歓待する。そういう雰囲気


家、いま、記念館になってる、家がまた素敵だということが
ありますね。河井が書斎として、使っていた、二階にある
コーナーは、部屋でなく、ふきぬけがあり、下の階で
どんな人がいて、なにをやってるのか、常に感じながら
いられる、場所なんだな、と感じました
この家に、柳宗悦バーナード・リーチは、何度も泊まっていった
ということを、重ねて思うと、なにか、わくわくします


炉端歓語には、柳宗悦との出会い、の場面が印象的に
語られています。濱田庄司が、河合を、柳の家に連れて行ったとき
その玄関にあった、朝鮮のつぼをみて、河合はたいへん、気持ちが動いた
こんな、いいものを、わかるやつなんだということで、心が溶けた
という話があります


こんな素敵な、瞬間って、あこがれますね
自分のうつわをみる、目の高さ、そしてその目を相手ももってるということで
一瞬にして、心が溶ける、なんて、いいのでしょうか


生きていて、素晴らしいことに出会うというのは
ほんとに、あるんだと、思いました
ぜひ、自分もそうした瞬間に出会いたい
気づける、自分になりたい