理解や記憶

知識を得て、それを使えるようにして
成果に結び付ける


技術者であれば、避けて通れない、ことですね
言い換えれば、知識のインプットから、自分でなにか
付加価値をつけて、アウトプットだす、そのことこそ
技術者として、やるべきことといっていいでしょう


その際の、理解や記憶すること、極意があります


人に教えることですね


まず、自分で持ってる知識を整理し、理解を
深めないと、教えるということは、できないのです


さらに、よく社内で、学びあうこと。またその
学びあう姿勢があることが大事ということを言います
このことにも、密接にくっついてるのですが
学びあう、それは、自分が理解した、道筋を赤裸々に
だすということに、他なりません
そうなると、ああ、そうかと、なること、多いのだと
感じるのです


つまり、教える側として、学ぶ人とのあいだに、完全な断絶が
あったりすると、教える、えらそうな人からは
その人がどういう、道筋で、頭を働かせ、理解を進めたのか
ブラックボックスということに、なりませんか?


学びあうというのは、ああでもない、こうでもないと
自分の信じられそうな情報をだしてみて、どうなのかとか
言ってみれば、同じ高さのステージにあがって
どうだろう、こうかしら、とやりとりをするという
ことですよ


それは、教える側としてふんぞりかえった、態度をとるより
なんぼも、気持ちいい、自由で、公平で、もしかしたら
その教えてる相手から、貴重な情報ももらえる
お得な、ポジションに見えてきませんか?


さらに、記憶です
人間はどんどん、忘れる動物ですぜ
だから、複数で学びあったりして、その学んだときの
背景だとか、エピソード、イメージ、風景が
伴っていると、忘れないのですよ


さて、あなたは、いかに、学ぶかというときに
相手に教えるということを、要素にいれるというのが
大事なこと、イメージできたでしょうか?


いっとき、まちがったっていいんです
定着させるまでに、正しいものに、修正するってことも
ひとつのエピソードになりえます


学ぶということは、ほんとは、楽しい、気分のいい
盛り上がる要素があるんですね