友と過ごす

ファミレスが、24時間営業をやめた、というニュースがありました
その背景に、若者が夜中に遊ばない、遊ぶ人が減った
ということがあると、聞きました


いいえ、遊んでるのかもしれません
会ってるというより、SNSなりでつながってる
ということに、なるようです


人と人、会って、話して、いっしょにいて
ということが、すごく大事だと思うのですが
それより、SNSでつながってる


あるとき、感じたことですが
確かに、日常に会う人より、SNSで気持ちが
通じるというときに、自分の内面を話せたりする
それも、事実なのは、なんとなくは知ってます


けれど、それで、会わないという理由にはならないですね
なんにせよ、精神的ななにかしらで、つながる、糸口を
もったなら、それを、深めるのに、会ったりは
大事なことです


ファミレスのニュースで、短絡に、若者が会ってなにか
するというのは、減ってる、という前提にたつのも
ずいぶん、乱暴な前提のおきかたと言っていいかもしれません


先週久しぶりに話した、仲良しの人と
人間関係が、希薄になってる、ということで
一致しました


これは、おおいに憂慮すべきことに、思えます
もっとも、若い人でも、一部の人は、その希薄さが、困る
というか、変えようという気持ちになってるというのも
少し、聞こえてきました


ボランティアをするという話、なんどか聞きます
つまり、若い人は、自分が人の役に立ってるという感覚が
ほしいのですと。言い換えると、そうした役に立った
という実体験が、ない、といっていいのでしょう


人間関係が希薄で、ボランティアで、自分の存在を
確かめてる、という人が増えてるということ。もちろん
個別性、レベルはいろいろあるのでしょうが、本来
やるべきこと、理想として、存在してほしい姿から
ずいぶん、離れてるように、思うのです


理想を追うのが、若い人でしょう
理想を、思い、自分の未来に向かって、一心に努力する
そうしたことが、見えなくなって、どういったらいいでしょう
司馬遼太郎の小説の解説の言葉を借りるとすると
「自分の才能をまきちらしながら、生きてる」ということに
近いのでは、ないでしょうか


友と過ごすこと
友だったら、ほんとうに大事なことを、言ってくれる
理想に向かって、なにかしてる、そのなにかについて
自分だったら、こうするな、とか、真剣に考えてくれる


友とだったら、そんな貴重なことが、可能になる
そういう、気持ちを持っていたいと、思います