学生時代からの、おつきあい

仲間、と、呼んでいい、そういう友達、つきあいの
人がいる


くりかえし、つきあい、もう家族のようにお互いを、気にしてる
もちろん、家族とはちがうのだけど、疑似家族といっていい
親しさがあると思っています


高校のクラスの仲間は、クラス会をやれば、20人は集まるかな
という、つきあいが続いています
20人集まるということは、着たいと思ってるのはもっと
いて、そのとき、どうしても仕事などで、都合がつかないという
人をのぞいても、20人くらいは集まるという、ちょっと
まれとも、思われる、コミュニティなのです


コミュニティ、お互いのことを、気にして
可能なことは、助け合う
このコミュニティが、ない、あっても、極めて薄い
ということが、いま、生きにくく感じるひとつの
ことではないでしょうか


私が、子供で、外でとびまわって遊んでるときは
確かに、まだ、地域のコミュニティは存在したのです
近所のおにいさん、おねえさんは、それこそ、疑似兄弟の
ように、その地域の子どもたちを、自分の弟、妹のように
接することができて、がんこおやじは、地域の子を
しかりとばす、ことができたのです


こうした、接点があるということは
ほんとに、貴重なことです


学生時代からの、親しくしてる人
大学は、クラブでの、つながりです
1か月ほどまえ、そのなかでも、特に親しい
家族ぐるみでおつきあいを、してる、人と食事しました
何度も、泊りがけでも、いっしょにでかけて、そのご夫婦の
子どもは、まるで、甥や姪のように、かわいがり
その成長の話を聞くのがうれしいのです


そして、一番うれしいことは、はだかの自分を
ぶつけられる、ということでしょうね
自分の思い、生きてる姿はこうなのですよと
話をします


会社であり、社員への思い
ときには、社内でない、人に話を聞いてもらうというのは
自分の頭を、整理するという意味だけでも、いいことだし
さらには、尊敬してる、その人から、忌憚のない、言葉を
もらえるのは、自分の思いを、ブラッシュアップするのに
これ以上ない、機会になります


人と人
人間ひとりでは、生きられないし
成長するって、なかなかでは、ないでしょうか
はだかの自分をさらして、お互いを、認め合い、高めあい
生きていきたい
そういうことが、できる、仲間がいるって、素晴らしいです