カオスから収束

発散収束型プログラムという、ワークショップの
方法があります


いったん、話を発散させていくというのですね
カオスになります
話し合いがカオスになれば、ちょっといやな感じですよね
なにを、話してるのか、わからないとなりがちです
でも、このカオスを恐れてはいけないと、ネタ本にあります


カオスがあるから、次の方向を、真の意味でみつけられる
というのですね
しっかり、カオスするのが大事とのこと


確かに、なんらか、方向をだして、いつもその方向が
頼りでなにかしら、話してるというと、その方向をだしてる
人だとか、背景にしばられながら、話すということに
なります


まあ、カオスも、あるキーワードとか、なんらか、ひとつくらいは
守るルールがないと、抜け出せないだろうとも思うのですが
よくある会議のように、誰か、声の大きい人だとか
sの場所にいる、権力者といった、方向をうちだすのに
なにかしら、アドバンテージを持ってる人が、いつも
なにかしてると、真の意味でカオスにはなりませんね


カオスから終息へ。なにをもって、収束のほうへみちぶくのか
それは、まさにファシリテーションの、一番大事で、一番ウデの
ふるいどころといっていいかもしれません


参加してる人の意識、また状態によるということが
ありますね
それから、やっぱりそもそも、どこを目指してるのか
ということによると思います
ファシリテーションをにぎってる人は、そのあたりを
見極めていく、必要があるといっていいと思います


せっかく、出来レースでない、カオスを恐れない
というのなら、準備段階で考えた、そもそも、ここは
やろうといったことも、ひとつの考え、案にとどめておいた
ほうがいいと思います
つまり、進んでいったときに、こういう落としどころにする
というのは、流動的にかまえておいたほうが、面白いともいえると
いうことです


人間がやることには、やっぱり限界があります
言葉で伝えられることにも、限界があるといっていいと
思います
ですが、やっぱりベクトルをあわせた、意識の高い人が
集まっての、話し合いであり、気づきを生むなにかは
相当なパワーを秘めていて
おそらくは、私もまだ、その世界は高いレベルに
できると、信じてるところがあります


そういう意味で、カオスを恐れない
人間の可能性、また自分の可能性を信じて
やっていきたいと、感じます