先輩と後輩

いい先輩になるということは
いい後輩であることの数倍難しい


この話を聞いて、いいなと思いました
また、なんて厳しい、ことだろうとも思います


大学のESSというサークルに所属していて
この言葉を言った人がいて、なるほどと
思いました
ずいぶん、いい先輩にめぐまれたと思ってる自分
さて、自分はいい先輩になれたのでしょうか?


いい先輩になる、後輩の模範になるような振る舞いを
するってこと、求められますよね
たとえば、ESSでの英語の勉強。もしかしらた
後輩のほうがいっぱい、勉強してるってことも
ありそうです


学びあう姿勢があること、と、繰り返しいいます
後輩のほうが、知識があること、あるでしょう
そしたら、それを素直に認めていくということが
ないと、おかしなことになりますね


自分のほうが、勉強もしていない
それなのに、さも、勉強したかのように振る舞う
それは、本当にはずかしいこと、おかしなことに
なります
ある部分、後輩のほうが先にいってるなら、やっぱり
それを、認めること、から、はじめないと、だめだろうと
思います


先輩だから、メンツがある
そのメンツを守るために、なにかやる
そういうことも、生身の人間ですから、
絶対やるなともいいませんが、そこにがんじがらめに
なってしまうと、しんどいし、自分にとって
不利なことも、いっぱいあると思うのです


知識をつけること、あることについて、ノウハウを
つけること。そういうことは、たぶん、自分よりうまい
人って、たくさんいるのですよ


はたして、先輩として、知識だったり、ノウハウだったりに
ついて、いつも先にいっていようということ
それだけ、を頼りにしていたら、多分できなくなるでしょうね


1年目、2年目はまだいいのです
絶対量がなかなか、おいつかないということで
先輩の顔をしていられるということが多い
でも、もっと時間の経過があると
なかなか、難しい
つまり、よくできちゃう人の2年とか3年のほうが
さぼりがちな人の、4年、5年より、濃いものに
なるということ、たくさんありそうです


一日、一日を大事にすること
肝に命じて、進めたいですね