許すということ

ひとときの感情、捨てることができる


組織において、ある人より、自分に情報が
遅く入ってくる。このことは、かなりの確率で
感情を害することです


例えば、人事情報。自分も利害関係者である
人事の情報が、同じならいいですが、あるタイミング
誰かが知ってるということ、それより自分のところに
くるのは後になる
役割とか、当然の印象で、あれば、まだしも
「なぜ?」と思うと釈然としないのですね


人間は、理屈でなくて、感情で動くもの
こうした、なぜ?が起こるとなかなか、素直に
なれないものです


こうした、なぜ、と、早くいえば、腹が立つ思いを
捨てることができる、そのことが、やっぱり、組織を
まとめていく人には、ほしいことです
感情を捨てる。言い換えれば、相手を許すということです


映画にもなった、大好きな小説、「思い出のマーニー
主人公のアンナは、スタートからある時点まで
「つまらなそうな顔」をすることで、まわりの人が
自分の心に近づくのを、避けてる、そういう少女でした
でも、マーニーに会い、あこがれ、また裏切られ
疑似恋愛に近い体験をして、裏切られても、許してと
言われて、はじめて許すということを、できるようになる
ストーリィです


3年ほどまえに、読書会でこの小説をとりあげて
ここの、肝心なところ、人を許すって、なんて高い
なんて、人間にとって、必要かつ、得難いところなんだって
思えたのです


昨日話していた社員との会話で
人間はミスをするもの、そのミスをだしても
少なくとも自分の気持ちが下がらないような
そういうトレーニングって大事だねとでてきました


ミスをした自分を許す
言い換えれば、ミスというマイナスなことから
その点は、次につなげるレッスンだと
プラスのことにつなげていく


許すということも、自分にひどいことをした(と見える)
相手を許すことで、さらに強固な絆に相手との関係を
築きなおす、そういうきっかけにすることができたら
素晴らしいですね


このごろ、人と、いい空間、いい雰囲気のなかで
その人の素晴らしさを感じるような、時間を持ちたいと
くりかえし、思うことがあります


黄昏時に、夕陽をみながら
月をみながら、花をみながら


そして、屋内であれば、いい感じのお店だったり
その店の店主の気持ちが行き届いた、場所だったり


そういういい空間で、いい時間を人と持ちたいと
思います