空間を思う

京都五条坂にある、河井寛次郎記念館が
とても、好きです


あげれば、どんどん、すてきなところは
あるのですが、二階にあがり、ふきぬけが
あって、そのならびに、寛次郎が書斎のように
使っていたという、コーナーがあるのです
読書家、思想家と言われたりする寛次郎。
階下の気配を感じながらそこで、過ごしたのでしょう


家、つまり家族のいる場所で、自分の空間が
ほしくなる、これはよく思うことですね
そうなのですが、自分の空間、まるっきり
他の家族との共有が、きれて、個室で
いるというのも、大事かもしません
そうなんですが、この寛次郎がそうのように
なかば、つながって、なかば、自分の世界に
はいれるというのが、すてきです


こういうように、境界といっていい場所が
最近気になるのです


よくいわれる、日本家屋にある、縁側といった場所
屋内ではない、屋外でもない
縁台、というのもあったといいますね
家のまえにおいて、ちょっと休めるスペース。
ご近所と、世間話をする
屋内にいれると、つい、かしこまる
ゆえ、その中間で、なごむといったらいいでしょうか


田舎のよさ、ってなんだろうと思うと
みんな顔見知り、ゆえ、家のかぎなんてかけない
(かつてはそうでしたが)


そういうあけっぴろげなところが、田舎の良さ
だったと、感じます


20代のときに、ちょっと親しくなった山形の人の
おうちに、泊めてもらったことがありました
都会育ちの自分としては、びっくりなのですが
近所の人が、まるで自分の家のように、入ってきて
いっしょに朝ごはん食べたりします


もう、ないかもしれない
昔の田舎のよさ、なんでしょうね


家という空間が変わり
個室になり、屋内でもない屋外でもないといった
場所は少なくなりました


そうだから、ほしくなる、そういうものかも
しれないですね