河井寛治郎

うつわから力強さを感じる


辰砂や鉄といった、釉薬のかかる、うつわ
そこに、花を活けてある
これだけ、なのだけど、力強さがある


河井寛治郎は、自分が作ったものと、いっしょの
ものが、アフリカの、遺跡、紀元前のものにあると
言います


河井寛治郎が、めざしたものが、日本で言えば
縄文時代のあの、力強いつぼのような、まるっきり
計算のない、手の感覚だけで作られてるという
縄文の、生きた人の、そのままの力強さを
もってるような、うつわになるのでしょう


辰砂をグラデーションでみせたうつわ
単純といえば、そうなのだけど、辰砂のグラデーションを
美しいと、見せるならこれ以上のうつわがあるでしょうか


日本には、うつわの文化がある
うつわを、愛でる文化があるんだと、
うれしくなります


河井寛治郎は、なぜ、ここまで人の心をうつ
美しさを、表現できたのか
それは、生き方がそうだからなのだと
見てきた、直後、そう思います


東山魁夷が、日本の山であり、海の美しさを
求めて、ずっと描きつづけた
それと、同じように、河井寛治郎は
「美」の世界に生きたのだと、感じました


京都、五条坂にある、河井寛治郎の元、自宅であり
仕事場である、現、河井寛治郎記念館は
まさに、河井寛治郎の生きた、生き方を
感じれる、場所だと思います


書斎に似た、場所があります
でも、閉じられた、部屋ではなくて、二階の
コーナーなんですね。ふきぬけといっていい
場所があって、常に一階の雰囲気を感じながら
過ごせる場所です
そこで、読書、思索をしたと思われます
書き物もそうでしょう


そうした、場所を愛して、そうした場所で
仕事するというのが、河井寛治郎なんでしょう


「美」を求め、人とのやりとりを
ずっとしていたという、河井寛治郎
また、ぜひ、その場所にも行きたくなりました


うつわのことを、もっと、ここに書いてみようと
今日、ブログをはじめたけど、なんとも
自分の語彙の少なさと、表現の足らななさが
なかなか、進まず、もどかしいです
またいつか、挑戦してみようと思います