skillよりwill

棟方志功は、自分の絵に責任が持てないと
つぶやいたといいます
それを、聞いた、柳宗悦はこのことは、無責任なことに
なる、話ではなく、人間はもうここまでくると
責任もてなくて、神、仏が受け取る世界に
いるんだと、そう受け取るのが、いいだろうと
言っています


富山県、福光、光徳寺に残ってる、松を描いた
棟方志功の絵をみて、柳宗悦の言葉が、ああ
そうなのかもしれない、と、思いました


安倍龍太郎は、長谷川等伯を描いた、小説において
等伯が、トランス状態といっていい、そういう
精神状態、神がかりな、状態で、傑作を描いたと
表現しています
その、書いてる自分に、等伯が乗り移ってる
そんな気持ちさえしてくると、振り返っています


そこまで、集中して、絵に、美に入り込む
ということができる、というのが、アーティストの
アーティストたる所以だろうとも、とらえることが
できそうです


このところ、思うのですが、絵を描くというとき
美を表現したい、というその気持ちの強さが
おおもとにあるのだと、感じるのです


skillより、willということがとても気になっています
たとえば、美しい線がかける、絵具をこんな使い方を
することで、いい表現ができる。そういうskillよりも
イメージをもった、美を表現したいという、willの
ほうが、大事というか、それがなければ、はじまらない
そう思うのです


そういうことを、拡大解釈すると、仕事するという
ことにおいても、たとえば、誰かと会って
お酒を飲むということだって、willがもとで
そのことがなければ、そんなことは起きないのですよ


技術者である、社員
営業を仕事する、社員
いかに、willを持つか、持ち続けるのか


思うに、自分で自分を鼓舞しつづける
そういうことがうまいということが、いかに
大事か、思い至るのです