長期の考えができる、ということは
すごいことですね
人間、いろんな仕事、いまの人間関係
自分の癖などに、ふりまわされて、いまを
生きているというのが多いのでしょう
そうしたなか、なにか、長期でものを考えられる
というのは、大事なことなのですが
そうしたいときに、できる、となると
やっぱりレベルの高い話になります
あるエッセイに、まわりの人からなにか
大事にされたかったら、ひとつのことを続ける
ということを、してみなさい、と、例があげられていました
それは、とても時間がかかるとみてわかること
ドミノ倒しを、用意すること、それでもいい
そうしたことを続けてると、応援してくれる人が
でるものだと、綴られています
その話の、ひとつ奥の意味を受け取れば
なかなか、長い時間かけてひとつのことを続ける
ということができない、だからやってる人を応援する
ということも、あるのでは?と気が付くと思います
知り合いに、書家の先生がいます
話をしてると、小学生のころから、やってると
いうのですね
そうすると、数えると50年、という年月を書を
書くということで、精進してきたということ
じゃないですか
書道に限らないのですが、ひとつの道を続けるって
簡単じゃないですね。ちょっとずつ、向上していないと
続かないものです。人間ってやっぱり知的な存在で
自分が成長できてないと、続かないものです
長期の考えができること
長期で物事に取り組めること
習うより、慣れろという言葉があるとおり
できそうなことから、やってみるって大事だと
思うのです
まず、やってみること毎日、やるのですね
こういうふうに、思うと、我慢強い性格というのは
なんて、美点だろうと、いまさらながら、気が付きます
実は、結構、「飽きっぽい」と自分自身で思っています
その飽きっぽい、自分をトレーニングしたくて、このブログも
毎日書くと決めたということもあります
飽きっぽい、自分が言うと、少し信憑性があるかも
しれないですが、、飽きっぽければ、飽きっぽいなりに
長期でやる、工夫はできるものです
好きなことを、やる、ということがひとつあると
思うのです。あとは自分との対話ですね
もうひとりの自分がいると思うのですが、その自分と
いい感じで対話できる、状態を保つということなんですね
人間の可能性は無限です
誰しも、可能性をもってます
その可能性を、実際なにか、できるとか、なにか
自分がいいな、というレベルまでひきだし、自分で
磨くかどうか、ですよ
せっかく、この世に生まれてきたんです
自分でいいな、と思えることを、増やしたいと
思いませんか