アーティストの気持ちを感じる

なにかを、志す人は、いくつもの壁を乗り越えなければ
自分の納得する世界にたどりつかないのだと
感じます


アート、美を表現することを、志した人に
美術館で会うとき、やはりそうしたことを
感じます


アーティストの生き方といったことが、ときどき
美術館でかいまみれたとき、そのすさまじさに
憧れ、また、人生の先輩として、刺激ももらう
そういう感覚があります


東山魁夷は、あるときから、画家のなかでも
かなり、大きな存在として、私のなかに、います
おおきな存在なのですが、あくまでも、生き方というか
人に接する態度は、謙虚そのものです
そして、旅行者、旅するものとして、じっと風景を
みつめてる、人ですね


「窓」という、ヨーロッパロマンティック街道の
古い街で描かれた作品に、目が留まります


城壁の門のあった場所に、見えた、窓
この窓の下にはベンチがあり、旅、昔は歩いて
きた旅人が、ほっと息をついたであろう
場所であるのが、想像されます


その風景、街の一角を、東山魁夷は、自分が旅人で
あるということ、いままでずっとこの場所で
旅人を迎えてきたここ、ということが、自分のなかにも
なにかを喚起することと、重ね合わせて、思っていたと
感じます


昨年の春に、長野県立美術館、東山魁夷館にて
東山魁夷の大学時代の、木曾をキャンプして
旅したときの、日記を読んで、ぐっと、その人が
身近に感じたことを、思い出します


青春時代、自分がこれからどんな人生を送るか
わからない。旅をすること。それも山に登り
体力の続く限り、歩き、ときに、農家にお願いして
一夜の宿を求める。そういうことを、自分自身が
主導して行ったこと。そしてそれができて
いま居るということの自信。


アーティストが、生きるということは
すごいこと、と、思いがちですが、木曾の山で
青春を過ごした、東山魁夷は、不安と若さをもった
ひとりの、青年でしょう
アートを、身近に感じたい自分に、まさに
うれしい読み物でした