メンタルなことは、グラデーション

メンタル系の疾患について、私のブレインになってると
思っている、先生と久しぶりに話しました
その先生が関わるセミナーにて、学んだことは、メンタルの
疾患というのは、健常な状態と、グラデーションでつながってる
といっていいこと、なんですね


メンタル系で、へっこむということは、こわいし
自分は、自分だけはちがうと、思いたい人、多いのでは
ないでしょうか
でも、健常者といわれる、人にだって、メンタルでなにか
問題らしきことは、必ずあるといっていいと思っています
つまり、境目がはっきりあって、健常者とへっこんでる人との
間に、へだたり、があると、思ってる人が多いと思うのですが
境目というのは、グラデーションなんですよね


グラデーションなんだ、という解釈が自分のなかで
そうなんだって、思えると、たとえ、健常者にだって
こういう対応をしたらいいとか、発想が柔軟かつ
ていねいになるようにも、思います。それゆえ
グラデーションという解釈をしたほうがいいとも、言えます


日本というか、世界中そうかもしれないですが、地域社会
といった、コミュニティがとても、疲弊してるのを、感じます
ちょっとまえまで、地域でつながっていないと、生きていけない
ことを、感じてやっていたことが、いろんなことが、お金で
解決するといった、方向にいってしまい、地域がつながって
いないということ。
そういう、いまの時代、日本では地方にいくと、地域がつながってる
場所がまだあって、そういう場所での、人情であり、本来の
人間のやさしさ、ということにふれると、人と人、どう接することが
重要なのか、目から鱗、ああ、そうなんだって、
思うことがあります


都会で、マンション暮らしとかしていて、地域とつながっていないと
あいさつ、ひとつにしても、ぞんざいになっていくということが
ありそうです


そういう前提にたつと、グラデーションという解釈とあいまって
たとえ、健常者といわれる範囲のいろいろに、一応はいってる
人も、簡単、というかほんのちょっとした、アクシデント
ストレスの重なりで、かなりダメージをうけるということが
見えてくるように思えるのです


そうだからこそ、予防という観点においても、グラデーションなんだなと
思いながら、なにかをやる、自分で意識してやる、ということが
大事です


河合隼雄先生が、「人に話を聞いてもらうことは、キく」と
おっしゃっています
まさに、傾聴する、そういうところから、きずなを感じる
ていねいに、人と人とをつなげていく、そこから、人の生きるために
大事なことを、みつめて、スタートしたいです