土牛石田を耕す

牛が石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては
美田に変えるように、お前もたゆまず精進しなさい


そういう意味で、土牛と名付けてくれたと、本に
でてきます。


土牛さんの絵のなかで、心に残ったものの、最初は
円空仏のスケッチでした。まんが、「あずみ」で好きな
シーンがありました。あずみが、仲良くなった仏師になりたい
青年が、あずみに言うのです。自分の作品が何十年、何百年と
残り、人になにかちょっとでもいいものを、感じてもらえる
そんな対象の仏像を彫れるようになりたい。その一言を
聞いて、その青年の役に立ちたいと、心に誓う。


このシーンが好きになったころ、箱根、成沢美術館に土牛さんの
スケッチをみたのです。その「慈愛」に満ちてみえた、円空仏
なんとも、心地よく、ほんとに、自分の心のささくれだったところを
包んでくれるような、あたたかさ、やさしさを感じたのです
でも、ほどなく、美術館にて、円空仏そのものをみたとき
ちょっと、自分が土牛さんのスケッチからもらったものと共通の
なにかは、感じられないのですよ。それは土牛さんというフィルターを
通して感じたものだと、思いました。


土牛さんの、自らの生涯を語ってる、「牛のあゆみ」の解説で
河北倫明は以下のような文章を載せています


土牛画伯の中に、本能的にセザンヌと共鳴する何ものかが自然に
躍動していた事態を想察する。それは、近代絵画の教科書に
あるような立体派の始祖、あるいは抽象画の出立点としてのセザンヌ
といったものではなく、むしろもっとセザンヌそのものである


この文章を読み、また本編にある、大佛次郎が書いた、展覧会の
カタログの序文が気になる


「『土牛素描』という大判の本が、坐りながら手の届く場所に
数年来置いてある。疲れて気力が落ちたり、筆が進まなくなった
ときに、それを開いて、花の一輪だの、文楽人形の首だの、
舞妓を描いてある土牛先生の世界に我を忘れるまで入り込む
いのちの美しさを無限に掴み取り得るからである」


この本から、知った、二人の人の土牛への評価というか
親愛を込めた、コメントは、土牛の生き方を感じることが
できると、思いました


セザンヌの、上の表記に従えば、立体派、その表現をしたくなる
その気持ちをもった、もとになるものが、土牛と共通、であり
土牛は共鳴したといっていいかもしれませんね


生誕130年の回顧展をみて、「牛のあゆみ」を読み、土牛さんの
生き方に、あこがれます