日記

その日にあったことを、書いてある
それだけ、かもしれないけど、日記を書くのは
いいですね


10年も前になりますが、回想するって、いいことじゃんと
肯定してみたことがあるんです
思い出すこと、過去のことを考えること。これはどちらかといえば
後ろ向き、これからの未来志向じゃないとして、回想して
いたりするのも、あんまり、よろしくないと思っていた自分がいて
いいえ、回想するというのは、よく活躍できたり、感動できた
自分の気持ちを、呼び覚まし、そのいいエッセンスを
取り込みなおす、そして、これからそういう、いい状態の
自分を再度作り、さらに、発展させるもとになる
そういうふうに、感じることができました


そういう、回想するのにも、日記はいいですね


旅にでると、そのときどんなことをしたか、記述することに
しています。友達に会うと、どんなことを話したか
記述することにしています
できれば、同じ友達に会うときに、そのときの日記を
読み返し、会いに行くととてもいいですね


人間の記憶って、やっぱり、ストックできる量って決まっています
だけど、意識のうえにはなくても、一度忘れてしまっても
たとえば、日記のような、思い出す糸口があれば、記憶の下の
ほうから、とりだして、みるということができるんですね


図書館で、すぐ見える書棚と書庫があるように
人間の記憶も、すぐ見えるところに置くものと、いったん奥に
しまうものとあっていいのだと思います
そう思うと、忘れる、というのもいい、記憶のしかた
ともいえます


昨日、日記を3年書いてるという若い人に会いました
日記を書き始めたきっかけは、おじいさんが日記をつけてるということ
から刺激をうけたということでした
そのことで、思い出したのは、天の瞳 灰谷健次郎でした
主人公、倫太郎の祖父は、倫太郎に向けていいます
記憶とは、己の言うことを、心が立つ日にもうひとつ、心だ
記憶とは、ある人の言葉、つまり人生を、たとえその人が亡くなっても
生かしておく、いい言葉その人の生きたいい人生を語ってつなぐ
そういうことをするためにあるんだと


私も50代半ばになり、少しまわりに、少なくとも自分には大事と
思う人がいて、その人の何人かは虹をわたり、まさに私の記憶の
なかで生きてる人になりました
記憶のなかでも、確かに生きていて、その人を共有する人との時間は
とてもいとおしいのです
大事だから、いっしょに生きた時間が大事と思えるってことは
なんて、素晴らしいことでしょうか


ある人の人生を、覚えていて、その素晴らしさを語る
そういう時間を持ちたいと思います
そういう、語る、素晴らしさを知ってほしいし
そういうことを、相手が知る、触媒としての役割はできるように
なりたいと思います