喜びを分かち合うこと

人の成長には、なにが必要なんだろう?
おそらく、なに?でなく、どう生きるかということが
大きく関わってると、想像するのです
どう生きる、できれば、充実感のある、喜びのあるものに
したいと思います。喜びはひとりで、よりも、みんなで分かち合える
そんなふうに、できることが、うれしいことです


人間が、文化と呼べるものをまだもたないころから
きっと、「原風景」といっていいのは、火を囲んで
生きる、日本でいえば、囲炉裏を囲んで過ごしてる
そういう姿です
生命の誕生を喜び、自然の恵み、自然のもたらす、美しさ
摩訶不思議なことを、愛でて、生きていたのです


生きる、そのものが、困難が伴うという時代、おそらく
目に見えてそうだというのは、たった、数十年前まで
そうなのですが、それはそれで、よかった時代といって
いいかもしれません


いま、現在は、表面上、特に都会だったりすると
食べるものは、(収入があれば)容易に手に入る
もちろん、清潔にくらしを保つのも、一見、お金を
使えば、できちゃう。
ゆえ、本当にそれが充実してるかどうかは、おいておくと
目に見えて、生きることが困難って、見えにくい
だから、本当に充実した、生活を知るということが
ないまま、流されて生きる人が多いのかもしれません


それこそ、一番、こわい、実態のない、生きる姿を追えない
そういう生き方なのかもしれないですね


喜びを分かち合えること
人間にとって、価値あることって、なにか、そのことを
考え続け、人と協力して、自分が貢献して実現していくことに
努力を続ける。
生き方を模索しつづける


この、いま書いたことは、生きるうえでの大事な前提条件
なのですが、忘れていませんか?


パリのまんなかの、美術館にある、モネの睡蓮の絵
モネは、この絵にふれて、仕事で疲弊した気持ち
心を、癒してほしいと残しています


都会は、一見、心地よく、人が集まり、文化を楽しみ
仕事ができる、そんなふうに、見える場所です
いつか、テレビでみた、スイスのアルプスで暮らす家族が
ここでの暮らしは、ある意味苦しい。道を直し、家畜の世話をし
家畜の乳で保存食を作る。でもそうしたことが、生きる力を
育むのだと、言っていたことを、思い出します


生きること、なにか、自分にとって大事なことを
見つめ続け、ときに喜び、ときに悲しみ、自分の生きる力を
だして、だしきって、前に進みたい