客観的になる

たとえば、いっしょになにかをする
こういうことが、人と人が仲良くなるのに
有効だ、といいます


今月の頭に、当社では社員旅行に行きました
なかなか、普段はやれない、野菜の収穫体験だとか
もちつきだとか、やってみました
やってみれば、はじめてのことだったりして
畑からゲジゲジがでてくるのをみながら、おいもを
掘ったり、菜っ葉ってこんなふうに収穫するんだと
ポキポキ、茎を折ったりして、知らなかった
世界にふれながら、自然と笑顔がでます


人間って、関係性のなかで生きています
関係をもった人と、いいやりとりをするなかで
自分の役割を認識し、責任を果たしていく
それが、人間だと思います
役割を認識し、責任を果たす、それは
言ってみれば、人の集まりのなかで、客観的に
自分をみてるということが、できたとも言えます


ここ最近、客観的に見えてるということが、
自分自身をしっかりさせるのに、大事だなと思うことが
まま、あります。客観的に見る目と、やりたいと
思い続ける心といっていいかもしれません


若いときって、やっかいなのは
「やりたい」とは思えても、なかなか客観的には
なれないものです。客観的になったら、やりたいって
気持ちがひっこんでしまったりということもあります


客観的になりながら、なにかをやることで
気持ちが通じ合うって、一番大事な時間じゃないでしょうか
技術者のステップアップを思います。たとえば「設計」です
設計ができるということは、想像力とくっついてる
とも思うのです。言葉で聞いた、ある仕事を、システムとして
表現するのが、設計といってもいい。そのとき
相手が、こういうことを実現したい、その意図、背景
ということを、理解できるのか?大事なことです


仕事だから、やります、だけではうまくいかない
ってことがあると思っています。やっぱりプラスαの
気持ちのやりとりがあって、気が付かないことに
気づいてく、ということがあると思います


よりよく生きたい
よりよくって、なんなんだ、その点でも
客観的ということが、ひとつのキーワードになります
見ること、聞くことからはじまる、扉の向こうを
みようという気持ち、ぜひもってほしいです