春秋から

日経新聞 2019年12月18日版 「春秋」


山本七平が、日本社会の非合理な意思決定を「空気」の
仕業だと、説く・・・
入試改革の失敗、それも50万人が受ける共通テストで
記述式は、無理という指摘が最初からある、しかしながら
進めて、自ら止まれないところまでいく・・・


この話は、どうでしょう
思い出すと、責任をとらない日本の様子ということに
つながっていって、この春秋でも、戦争を起こした
という近現代史、にもつながっていくのでは
ないでしょうか?


和を以て貴しとなす


好きな言葉だし、そのことを胸に生きていきたいとも
思います。だけど、この美しい響きにどこか
責任をとらない。だれか、また集団が進んでいくとき
声を大きくしてそれを、止める、ということを
しない、日本人の姿が浮かび上がる
そういうふうな、こわさ、そして、甘さといったことを
思うのです


環境に恵まれたとき、日本人の集団はとても、いい力を
発揮するといっていいでしょう
ですが、その環境に恵まれるというのは、やっぱり「いつも」は
続かないのだし、あちら立てばこちら立たず、といって
どのグループもすべて、いいという意思決定なんて
やっぱり、ない、ことも多い


日本人は、と、くくってしまう、というのも
安易かもしれません。上に書いたことを、ひとつ
別のスポットをあてて、読み解くと、つまりは
チームに波風たたないような振る舞いをしたとき
それが、チーム自体が危機感をもって臨まなくては
ならない、ときは、危うい、ともいえるのでは
ないでしょうか?だれかが痛みを伴うような、意思決定を
あえてして、いっときは、苦しい思いもする、そういう
ことをしないと、もっと、ひどいことがくる
そういうことも、もう学ぶべきなんだと、感じます


空気読む、空気読めない


いいえ、あえて読まない、人こそ
貴重な場合があるということ、覚えておきたいですね


そして、できれば、ときには、自分がそういう
火中の栗を拾う、人でありたいと、感じます